正倉院の宝物

『正倉院宝物が、今日まで無事に残ったのは?』

正倉院って、修学旅行以外に行かれたことありますか。

今回は、その正倉院について勉強してみたいと思います。


東大寺の正倉院は北倉・中倉・南倉からなっており、北倉と中倉は三角形の部材を横に組んで壁を

つくった校倉造りです。

正倉院正倉
sh.正倉院正倉

この3つの倉に、歴史の至宝というべき天平文化の遺物が豊富に納められています。

北倉に納められているのは、光明皇后によって東大寺に献納された聖武天皇遺愛の品々や薬物。

中倉・南倉に納められているのは、平安時代になってほかの倉から移されてきた宝物(大仏開眼会

関連の品々・宮中の年中行事用具・聖武天皇の周忌斎会関係の品々・文書類)です。

私たち現代人は、そうした正倉院に残された宝物のおかげで天平時代の芸術を堪能し、天平文化

の香気を嗅ぐことができますが、そこに素朴な疑問が生じます。

どうして、天平時代から現代まで千数百年にわたって無事でいられたのか。

その秘密は、各倉における厳重な開扉の管理にあるようです。

北倉は北明天皇によって献納がなされた時点から「勅封の倉」とされ、厳重な管理が行われている

のです。

勅封とは、勅許(天皇の許し)がない開扉されないという意味です。

一方、重要な宝物を多く納める中倉でも、1116年以来、従来の僧綱封から勅封になっています。

南倉もまた、当初から明治時代まで僧綱封や東大寺別当封によって厳重に管理されてきた。

もっとも、これだけの厳しい管理がなされたとはいえ、正倉院の宝物がすべて無事だった訳ではあり

ません。

藤原仲麻呂の乱(764年)に際して持ち出された武器類は戻っていないし、勅封であるゆえに歴代

天皇によって、ひんぱんに宝物が持ち出されるということもあった。

天皇によって正倉院から持ち出された宝物の大半は返納されているが、820年に嵯峨天皇が持ち

出した「大小王真跡」「王義ノ書法」などは、今に残されていません。

1039以降の記録によれば、正倉院には4件の盗難事件があったそうです。

千数百年にわたって宝物を守り続けるというのは、やはり並大抵のことではないでしょう。



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pig 20161211



            <参考文献:いまさら聞けない長年の大疑問(歴史の謎を探る会)>

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名無し さま

名無しさん、こんにちは。

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