「夫を餓死させられた満天姫」 その6

『福島正則は姉の子を養子に迎える』

秀吉がまだ信長の有力武将の一人の有力武将で過ぎなかった頃、秀吉は播州に進出して、別所、

神吉、櫛橋、長井、梶原、淡河ら有力国衆を信長に味方させることに成功した。

しかし三木に本拠を置く、別所長治を旗頭とする国衆は、信長はいずれ自分たちの領地を没収する

に違いないと疑念を抱いて、信長に反旗をひるがえします。

「三木の干殺し」の平井山本陣 (秀吉の平井山本陣記事は「こちら」です。)
mi.三木城 105

秀吉は国衆を平らげるのに四苦八苦し、三木の干殺しといって、最後の砦となった三木の城を落と

すまでに丸々2年をかけさせられたが、このとき一人だけ秀吉に味方した国衆がいた。

別所長治の叔父・別所重宗です。

福島正則の初陣は播州の国衆が反旗を翻したこの時で、18歳の時でした。

正則には姉がいた。

正則は秀吉の子飼いであるから、姉がいることなど秀吉は百も承知で、遠く尾張から姉を三木の本

陣に呼び寄せ、別所重宗に嫁がせています。

重宗には男、男、女、男の子がいて、その次の男子の母が正則の姉。つまり姉は重宗の後妻に入っ

たのですが、2人の間に男の子が生まれたのです。

正則は津田備中守長義の娘を妻に迎えていたが、子供が生まれない。

別所重宗と姉の子を養子に迎えたいと重宗に懇願し、子は正則の養子となって正之と名乗っていた

のです。



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                   <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
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No title

2015年に三木城に行ったのですが、復習してないことを思い出しました。
別所長治の時世の句「今はただ恨みもあらじ諸人の命に代はる我が身とおもへば」の句碑が印象に残ってます。備中高松城の清水宗治といい、秀吉にいじめられた側に、上に立つものの器を感じてしまうんですよね~

えどっこっこ さま

えどっこっこさん、こんにちわー

ぜひ、三木城を記事にしてください。
忘備録にもなりますし・・・

強力な相手に服しない武将たちは凄いですね。
最後には、自分の身を捨て家臣たちを守る。
この責任感は、どこから生まれるのでしょう。

器の大きい人と一献交わしてみたいですね。

城址に立ち、あの山を見て、何を思い、何を
考えたのだろうと、いつも思って下城します。

こんな思いを抱く時に、模擬天守が邪魔になって
しまいます。
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