「夫を餓死させられた満天姫」 その10

『劫の建て替え』

諸将らは正則の本拠である清州城に結集したが、家康は江戸に腰を据えたままいっこうに動こう

としない。

福島正則は腹を立てて家康をこう難じた。

「劫の立て替えに遊ばれ候」

これは囲碁の用語で、わざと石を捨てて敵にとらせ、捨て石にするのを「劫の立て替え」といい

ます。

福島正則(1561-1624年)
fu.福島正則

その劫の立て替えにされたというのは捨て石にされたということ。つまり家康は自ら戦う意思が

なく、正則らを勝手に戦かわさせようとしていると難じたのです。

そこへ家康の使者・村越茂助がやって来ていう。

「おのおのの手出しなく候ゆえ御出馬なく候、手出しさへあらば急速御出馬にて候はん」

正則らが日和見を決め込んでいるから出馬しないで江戸にいるのだといわんばかりの口上で、

そそのかされて正則は率先して動きはじめた。

木曽川を渡った先に西軍の拠点のひとつ竹ヶ鼻城があり、これをあっさり落とすとすぐに岐阜城

に矛先を転じ、これも難なく落とした。

これに正之も同行して、正之なりに働いたというわけです。

正則らが岐阜城攻略に向かったという報を得ると家康は8月25日、26日、27日と連日、正則

に書状を送って機嫌をとり、落としたという報を得ると29日にこう感謝状を送っている。

「岐阜の城乗り崩し候こと、思いのほか早速の儀、さてさて御手柄申すばかりなく大悦に存じ候。

我々こと、追っ付け出馬せしむべく候条、面談にて諸事申し承るべく候の間、具に能わず候。」

家康はやがて豊臣を討つつもりいる。


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             <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
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