『女城主・井伊直虎』 その8

『桶狭間の戦いで敗戦』

井伊直盛は先陣を命じられ、前日駿府館を発った先発隊に合流した。

総勢は公称4万というが、実際は2万5千とされ、義元の本隊は翌12日に出発した。

直盛ら先発隊は15日には池鯉鮒(知多市)に、17日には鳴海方面に至り、付近の村々に放火

した。

桶狭間 (桶狭間訪問記は「こちら」です。)
ok.桶狭間古戦場公園 002

義元は18日、本陣を沓掛(豊明市)に置き、その夜、大高城に兵糧を入れさせた。

19日明け方、今川軍は織田方の砦を襲い、松平元康(家康)は苦戦して丸根砦を落とし、隣接

した鷲津砦も朝比奈泰朝が落とした。

沓掛から大高に向かう途中、義元は丸根・鷲津の勝利を聞き、気をよくして桶狭間で乗っていた

輿を降りて休憩した。

夕立が来る。風雨が急に強くなって、あっという間に通り抜けていった。

織田信長の2千の兵は二手に分かれて今川の軍勢を襲う。

一手は直盛らがいる先手衆に攻めかかり、もう一手は完全に油断していた義元を直撃した。

義元は刀を抜いて、突きかかってきた服部小平太の槍を切り折って、さらに相手の膝を割る力戦

をした。だが、助っ人に入った毛利新助に首を取られた。

その際、義元は相手が口に突っ込んできた左の指を食いちぎって果てたという。

有力武将たちも次々に討たれた。

「井伊家伝記」は直盛が死に際に残した遺言を伝えています。

小野但馬は二心合ってあって心もとないので、井伊一族である中野越後守直由に留守を頼んで

きた。

これからも但馬守と直親の主従の間が心もとないので、中野越後守に井伊谷を預けたい。時節を

みて引馬城へ直親を移したいので、このことを祖父・直平に伝えて欲しいといって、奥山孫四郎に

介錯させて切腹した。

逃げ帰った兵士などから戦況を聞いて、井伊谷は悲鳴と嗚咽に包まれる。

直虎も父の死に茫然とし、龍潭寺に籠って、亡くなった人々の魂の平安をただひたすら仏に祈るし

か、直虎には術がなかった。

直盛享年55歳、亡骸は龍潭寺に戻ってきた。



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                 <参考文献:女城主・井伊直虎(楠戸義昭著)>
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No title

>亡骸は龍潭寺に戻ってきた。

これが凄いと思いますね。
戦国時代、どのようにして、持ち帰ったのか。
礼を尽くして、取り戻せたのでしょうか。
亡骸も、故郷へ戻れて、さぞや嬉しかったでしょうね。

面白いです。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
応援して帰ります。ヽ(≧▽≦)/ポチ☆彡全部

雫 さま

雫 さん、こんにちわー

> これが凄いと思いますね。
> 戦国時代、どのようにして、持ち帰ったのか。

戦国時代の遺骸といったら、首ですよね。
敵の首を取るのが目的で戦っていますので、首は必ず持って帰って
ようです。

今では想像もできない、時代だったのですね。
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