『女城主・井伊直虎』 その11

『城主・直親謀殺される』

小野氏は父の和泉守直政が直満・直義兄弟を讒言したように、またもその子を・但馬守道好が、

直満の子の直親を訴えたのです。

直親は申し開きをするため駿府に出向き、いよいよ掛川城が近づいてきたときだった。

直虎 003

『井伊家伝記』は

「掛川御通りの節朝比奈備中守取り囲み一戦に及び、直親主従共粉骨を尽くすといえども、無勢

故ついには傷害成され候」と記す。

直親が今川を攻めると誤認して討ったとするが、氏真の命令を受けて城下への入口で待ち伏せ、

問答無用に謀殺したのでしょう。

直親の遺骸は同行して生き残った足軽や中間に担がれ、直親の屋敷があった祝田(浜松市北区

細江町)まで運ばれた。

この遺骸は、南渓和尚が蜂崎神社の荻原宮司を使いに出して、掛川城からもらい受けてきた。

27歳の元許婚の短い人生は、今川家への怨嗟の生涯だったと、直虎は改めて思ったことでしょ

う。

火葬の現場に直親の妻はいたが、一粒種の息子・虎松の姿はなかった。

直親が殺された時、氏真から虎松も誅殺するよう命が出されたのです。

駿府にあった新野左馬助が、身命を賭し虎松の助命を嘆願し、やっと許されたが、いつ殺せとの

命令が出るかわからない。

左馬助は母親から虎松を預かり、まず井伊谷城の居館三の丸の南に隣接する新野屋敷に保護

した。

そして暫くして小野但馬守にわからないように、虎松を母親とともに安全な場所に匿った。

「礎石伝」は、虎松と母が隠れ住んだのは、新野左馬助の伯父が住職である引馬の浄土寺という。

直親を助けて信州松源寺まで従った忠臣の今村家が今回も供をした。



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              <参考文献:女城主・井伊直虎(楠戸義昭著)>
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匿名 さま

匿名さん、いつもありがとうございます。

間違いを修正しておきました。
ありがとうごさいます。

テレビ、映画のように、簡単には人は簡単に討てないので、無駄な争いはしなかったのではないでしやわようか。

2対1では、絶対に勝てない気がしますか如何でしょうか。
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