『女城主・井伊直虎』 その14

『今川氏真と家老・小野との闘争の行方』

今川氏真が瀬戸方久に安堵状を与えて2ヵ月足らずの11月9日、直虎はやっと徳政令を布告

した。

直虎 006

その内容を要約すると

永禄9年に氏真殿が出した徳政令の判形は銭主が難渋するとことで、いまもって出ていない。

だが本百姓の訴訟した件は先の判形どおりで、前々からの筋道によって名職などは受け取っ

てよい。

よって銭主方はたとえ負担が重いとしても、この件で訴訟をしてはならない。


というものであった。

こうした文書を、直虎が今川氏からの圧力に抗しきれず、ついに氏真の重臣・関口氏経と連名

で出さねばならなかったことは、さぞ無念であったでしょう。

直虎は負け、小野但馬守が勝ったのです。

しかし、この直虎の屈服は単なる負けに留まらず、今川氏の領内介入を阻んできた井伊家から、

今川氏がその統治権を奪うことを意味した。

今川氏真は地頭であった直虎を罷免し、井伊谷を今川氏の直轄にし、小野但馬守を任命し、井伊

谷をわがものにしたのです。

この徳政令をめぐる2年間の直虎と氏真・小野但馬守の抗争は、蜂前神社文書と瀬戸文書か

ら明らかになった事実なのです。

そしてこの文書に書かれていること以外、ほとんどで何も伝わっていません。

その伝わっていない空白の部分も、直虎は女城主として、政務をこなしていた筈です。

さらに、この徳政令の背後で、流血をみるような但馬守方との暗躍があったと考えるのが普通

です。

直虎は刀を握りしめ、相手を討ち果たそうとしたことも一度や二度ではなかったのでしょう。

そして今川への憎しみが消えない一族一門も但馬守を嫌い、武力衝突があったことも十分に

考えられます。

しかし、こうした記録は何ひとつ今日に伝わってはいません。



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pig 20170415



                       <参考文献:女城主・井伊直虎(楠戸義昭著)>
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