「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その11
『秀吉の台頭』
Sa-ko嬢とのお別れに、時間をとってしまいましたので、「ガラシャさんの娘」おろそかになっ
てしまいました。先に進めたいと思います。
石山は信長の相続人を取り決めた清須会議で、隣接する尼崎や伊丹を領する池田信輝の領地とさ
れた。
豊臣秀吉(1537-1598年)

秀吉は柴田勝家を賤ケ岳で破ると、一気に北ノ庄(福井)まで柴田を追い詰めて自害させた。
岐阜城にはその頃、信長の倅の三七信孝が入っていて、信孝は柴田と手を結んでなにかと秀吉に
抗していたが、勝家が賤ケ岳で敗れると信孝のもとにいた家来たちは、くしの歯が抜けるように
逃げ、信孝もまた逃げた。
これで秀吉は美濃一国も支配下におさめた。
秀吉は池田信輝に石山を含む伊丹・攝津の所領を美濃大垣13万石と交換してもらえないかと持
ちかけ、二つ返事で受け入れて大垣に移った。
秀吉は9月に、石山に城、大坂城を築こうと普請にかかり、これを創建奉行として前野長康に命
じた。
秀吉は墨俣に一夜城を築城した。信長はそれを真似て、浅井長政の小谷城攻めに大規模な土木工
事を行って長堤を築いた。
これは実は、小谷城攻めにそれほどてこずっていると信玄に思わるためのジャスチャーで、つら
れて信玄が信長の背後を衝くべく遠州に姿を現したとき、信長は難なく兵を尾張に返した。
小谷城の包囲は秀吉の軍団だけで事足りている。
そうと知らされた信玄は尾張に兵を進めることができず、行く当てがなく、一帯をふらふらと彷
徨ことになったが、この小谷城攻めの長堤の構築を、今度は秀吉が真似て、三木の陣で大規模
土木工事を行い、大包囲網を築いて城を落とした。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。

<参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
Sa-ko嬢とのお別れに、時間をとってしまいましたので、「ガラシャさんの娘」おろそかになっ
てしまいました。先に進めたいと思います。
石山は信長の相続人を取り決めた清須会議で、隣接する尼崎や伊丹を領する池田信輝の領地とさ
れた。
豊臣秀吉(1537-1598年)

秀吉は柴田勝家を賤ケ岳で破ると、一気に北ノ庄(福井)まで柴田を追い詰めて自害させた。
岐阜城にはその頃、信長の倅の三七信孝が入っていて、信孝は柴田と手を結んでなにかと秀吉に
抗していたが、勝家が賤ケ岳で敗れると信孝のもとにいた家来たちは、くしの歯が抜けるように
逃げ、信孝もまた逃げた。
これで秀吉は美濃一国も支配下におさめた。
秀吉は池田信輝に石山を含む伊丹・攝津の所領を美濃大垣13万石と交換してもらえないかと持
ちかけ、二つ返事で受け入れて大垣に移った。
秀吉は9月に、石山に城、大坂城を築こうと普請にかかり、これを創建奉行として前野長康に命
じた。
秀吉は墨俣に一夜城を築城した。信長はそれを真似て、浅井長政の小谷城攻めに大規模な土木工
事を行って長堤を築いた。
これは実は、小谷城攻めにそれほどてこずっていると信玄に思わるためのジャスチャーで、つら
れて信玄が信長の背後を衝くべく遠州に姿を現したとき、信長は難なく兵を尾張に返した。
小谷城の包囲は秀吉の軍団だけで事足りている。
そうと知らされた信玄は尾張に兵を進めることができず、行く当てがなく、一帯をふらふらと彷
徨ことになったが、この小谷城攻めの長堤の構築を、今度は秀吉が真似て、三木の陣で大規模
土木工事を行い、大包囲網を築いて城を落とした。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。

<参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
- 関連記事
-
- 「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その13 (2017/05/27)
- 「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その12 (2017/05/26)
- 「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その11 (2017/05/25)
- 「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その10 (2017/05/01)
- 「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その9 (2017/04/22)
スポンサーサイト