『女城主・井伊直虎』 その19
『井伊谷』
ドラマの方は停滞していますので、今後、このような時には直虎とその一族が生きた時代と触
れ合う旅に出てみたいと思います。
なお、井伊一族については、古文書などの史料が十分ではなく、確実な情報が限られるため、
どうしても曖昧で、すっきりしない点も多いかと思います。

井伊谷という地名は、この一帯が“井”と呼ばれる地域に該当し、山に囲まれた川沿いの平地
であることから付けられているようです。
引佐多目的研修センターの北の位置する標高114mの城山とその山麓が、井伊氏の本城の
ひとつに数えられる井伊谷城です。
井伊氏は、この城山を戦争が起きた際の要塞とし、普段はその麓に建てられた居住用の館で、
日常生活を送っていたといいます。
麓から10分で行ける山頂の広場の北側で一段高くなっている場所には、後醍醐天皇の皇子で
あり「新葉和歌集」を編纂した優れた歌人としても知られる宗良親王が、歌を詠んでいたとされ
る御所丸の跡があります。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。
<参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
ドラマの方は停滞していますので、今後、このような時には直虎とその一族が生きた時代と触
れ合う旅に出てみたいと思います。
なお、井伊一族については、古文書などの史料が十分ではなく、確実な情報が限られるため、
どうしても曖昧で、すっきりしない点も多いかと思います。

井伊谷という地名は、この一帯が“井”と呼ばれる地域に該当し、山に囲まれた川沿いの平地
であることから付けられているようです。
引佐多目的研修センターの北の位置する標高114mの城山とその山麓が、井伊氏の本城の
ひとつに数えられる井伊谷城です。
井伊氏は、この城山を戦争が起きた際の要塞とし、普段はその麓に建てられた居住用の館で、
日常生活を送っていたといいます。
麓から10分で行ける山頂の広場の北側で一段高くなっている場所には、後醍醐天皇の皇子で
あり「新葉和歌集」を編纂した優れた歌人としても知られる宗良親王が、歌を詠んでいたとされ
る御所丸の跡があります。
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<参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
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