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「夫への愛を貫きとおしたガラシャの娘」 その27

『戦国時代の恐ろしさ』

秀次にはすぐ御沙汰があり、御沙汰には罪状がいくつも並べられていて、次のことが強調されて

いた。

「諸将を城(聚楽第)中に集め、書付(誓書)せしめ、あまつさえ太閤殿下万一に備え。長年蓄

え置き候御金蔵を開き、故なく乱用、不届き至極の所業、逆位あるは明白」

聚楽第も譲り渡したのだ。そこにある御金蔵だって譲り渡したも同然なのに、そのことをも秀吉

はあげつらったのです。

高野山の秀次
to.豊臣秀次高野山

罪状を申し渡されて、秀次はすぐに高野山に追放された。

7月8日のことで、秀吉は追っかけるように福島正則らを高野山に遣わし、切腹を申しつけた。

これが7月15日、秀次自害の報がまだ届かない翌16日に、秀吉は長重にも謀叛のかどで切腹

を申しつけた。

長重の父・前野長康は豊家創業の功臣で、蜂須賀正勝とともに秀吉を押し立て、結果として秀吉

に天下を取らせたのです。

また、長康の大事な一人息子を、秀次に付かせたのはほかならぬ秀吉なのです。

長重は誓書一件に深く関わったが、長重は秀次の家来で、家来は主君の命ずることに逆らえない。

長重にとってほかにとるべき道はない。

なのに、なんのためらいもなく。情け容赦なく、秀吉は長重を死に追いやったのです。

たった一人の倅の命を奪われ、所領地も失い、長康は悔しいと思う前にむしろ空しさにうちひし

がれ、3日後の19日に近くの寺の庭を借りて静かに腹を切ったという。



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pig 20170628




                      <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
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