「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その1

『秀吉の没』

みなさん良くご存知のように「千姫」は豊臣秀頼の正室です。彼女の数奇な運命について記事

にしてみたいと思います。


女の子が生まれたら、ぜひ我がせがれの嫁になどと親しくしている親同士が、子が生まれる前

から一緒にさせる約束をするという例は古来からあったという。

千姫(1597-1666年)
se.千姫(錦絵)

しかし、千姫の場合はひどかった。

秀吉の打算の塊によって、女として生まれたら秀吉の嗣子・秀頼に嫁ぐことを義務付けられて

いたのです。

戦国時代は右を見ても左を見ても政略結婚が横行した時代であったが、それは生まれた者どお

しのことで、千姫のように、秀吉の打算の塊によって嫁ぐ相手を決められて生まれた女性は皆

無だったのでしょう。

千姫は慶長2年(1597年)4月11日に伏見城で、19歳の徳川秀忠と28歳のお江との

間に生まれ、生まれると同時に秀頼の許婚とされています。

千姫が生まれ間のない慶長2年6月、秀吉は再び朝鮮に兵を送る。

しかし、秀吉の寿命は終焉を迎えようとしていて、翌年の5月に病状は悪化し、8月18日に

死去する。

秀吉の遺命にこんなものがありました。

家康は伏見にあって政務をとれ。

秀頼は大坂に移り、前田利家は大坂にあって秀頼を補佐せよ。

秀頼は秀吉の死後、慶長4年1月10日に五大老五奉行を従え大坂にくだり、そのあと、利家

は大坂に留まり、家康は伏見に引き返した。



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pig 20170706


                 <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
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