「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その2

『千姫、江戸にくだる』

家康が動き始めます。

伊達政宗、蜂須賀至鎮、福島正則の3大名と縁談をまとめ、それは秀吉の遺命に反すると四大老

五奉行を相手に、家康は揺さぶりをかける。

徳川家康(1543-1616年)
to.徳川家康

前田利家は死去し、跡を継いだ利長は家康のいじめに嫌気がさして領国加賀に帰ってしまう。

五大老の毛利輝元も上杉景勝も宇喜多秀家もおなじく領国に帰る。

五奉行でただ一人、鼻息を荒くして家康に立ち向かっていた石田三成は武闘派といわれた加藤清

正や福島正則らの急襲によって大坂を追われ、伏見に逃げ込み、家康の仲裁によって居城の佐和

山で蟄居同然の状態におかれた。

ほぼ同じころ、五奉行のひとり浅野長政は家康によって領国甲州で蟄居させられていて、残る三

奉行、増田長盛、長束正家、前田玄以に力はなく、上方の実力者は家康ただ一人ということに

なってしまい、家康は大坂に出向いて、秀吉の正室・北政所の住まいであった西丸に入り、政治

を私するようになる。

その頃、3歳になっていた千姫は母のお江に手を引かれて江戸にくだる。

婚約者の秀頼は千姫より4つ年上でそのとき7歳。

わが庵(いお)は松原つづき海近く

富士の高嶺を軒端(のきば)にぞ見る

江戸城の主人であった太田道灌が江戸城にあって詠んだ歌です。

自分の城は松原がつづいていて海がすぐ近くにあり、軒端に目をやるとその先に富士山の高嶺

が見える。

道灌が歌っているように、草庵というのがぴったりの屋形が、城というより砦のような江戸城が

建っていたのです。

家康が関東一円を支配することになって、それまでの田舎の小城にすぎなかった道灌の江戸城に

本拠を置いたのは天正18年(1590年)のことでした。



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               <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
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