「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その7

『城を高くして池を深くして、余が攻めるのを待て』

はたしてそうだったのでしょうか。

秀吉が死ぬとすぐ家康は四大老五奉行をさかんに挑発し、揺さぶりをかけて、なんだかんだと

関ケ原の戦いまで持ち込んでいます。

篠山城(篠山城登城記は「こちら」です。)
sa.篠山城 001

あの時点と、この時点の家康のどちらが強力かというと比較にならない。

この時点の方がはるかに強力で、この時点の家康に、豊臣恩顧の武将の機嫌をとらなければな

らない理由は微塵もなくなっているのです。

自分は京にいながら諸大名70家に動員をかけ、70家は黙々と江戸で働かされている。

むろん、その70家の中には、福島正則も加藤清正もいるのです。

こんな話が伝わります。

福島正則は翌慶長9年と慶長11年に江戸城の修築に、12年は駿府城の建設に、14年に笹

山城の建設にと駆り出された。

そのまた次の年、15年に名古屋城に城が築かれるらしいという噂が立ったが、篠山城の建設

に駆り出された面々は工役を免れることができるらしいとのことだったので、正則はほっと胸

を撫でおろしていたが、案に相違して、またも正則に声がかかった。

正則はしぶしぶ出かけ普請が始まり、一休みして茶を飲んでいるとき、池田輝政にこう愚痴を

こぼした。

「ここのところ、やたらに土木の工役に駆り出される。江戸や駿府はまあ天下普請ともいえる

普請だから止むを得ないとしても、名古屋は庶子の住居。庶子の居住にまで駆り出されるのは

おかしい。御身(輝政)は駿府(家康)の愛婿である。われらがために、おかしいと訴えてく

れぬか」

微妙な話だから輝政が返事を渋っていると。清正が髭を震わせ、笑って言った。

「粗忽なことを申すものかな。工役が嫌なら、ただちに国に帰って謀反するがいい。謀反が出

来ぬのなら、黙って工役に就くしかあるまい」

「それもそうだ」

と正則は苦笑してその場は何事もなく終わったが、諸大名がまたまた駿府城の修復に駆り出さ

れたとき、家康は諸大名を前にして言った。

「最近、しきりに工役がつらいなどと愚痴をこぼす者がいると聞く、本当にそうなら、速やか

に帰国し、城を高くして池を深くして、余が到らん日を待たるべし」

諸大名は大いに恐れて工役の人数を増やし、城郭は不日に完成した。



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pig 20170718



                   <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
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