「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その8

『家康の思量』

千姫を秀頼に入輿させる時点で、家康は豊臣恩顧の武将のことなどなんとも思っていない。

では、どんな訳があって千姫を秀頼に嫁がせたのでしょう。

徳川家康(1543-1616年)
to.徳川家康

征夷大将軍になった慶長8年2月という時点で、家康は淀殿や秀頼をやがて死に追いやること

など考えていなかったのでしょう。

かつてはおのれが秀吉の前に膝を屈した。

今度は立場が入れ替わって、秀頼がおのれに膝を屈すればいい。

そうすれば、大大名の一人として遇してやる。

そんなふうに考えていて千姫を、大大名の一人として遇することになるだろう秀頼に嫁がせた。

こう考えるのが自然のような気がします。



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                     <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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