「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その14

『秀頼は大男』

秀頼が17歳の時、おなじ女がまた子を生む。

今度は女の子で、その子がのちに千姫の養女となって鎌倉の駆け込み寺・東慶寺に入り、尼となっ

て一生を送っています。

ではなぜ、この後、家康はひどい言いがかりをつけ、秀頼とその母・淀殿を死に追いやったのでし

ょうか。

豊臣秀頼像
to.豊臣秀頼 02

慶長16年3月28日(秀頼19歳のとき)の二条城での、家康と秀頼との会見がきっかけであっ

たといわれます。

「明良洪範」によれば秀頼は6尺5寸、約197cm。他の記録でも6尺2寸、187cmぐらい

であったという。

雲をつくような大男で、禅僧の西笑承兌によれば「老成人の風規を備えた人」だということで、ま

たよく太っていたという。

父の秀吉は禿げネズミともいわれた体格の貧弱な男だったから、母方浅井氏の血を承けたに違いな

く、家康は10年ぶりに見る秀頼の風貌と貫禄に威圧され、こう思ったに違いないのでしょう。

おれの余命はいくばくもない。

おれが死ぬと、せがれの将軍・秀忠にさしたる人望があるわけでもないから、この大男の小僧に求

心力が働き、ふたたび豊臣の世になる。

そうさせてはならない。

おれの目が黒いうちに、急ぎこの子倅の息の根を止めておかねばならない。

秀頼に会って家康は、そう思ったのでしょうが、戦争であれ、喧嘩であれ、口実がなければなりま

せん。

わけもなく諸大名に号令をかけ、秀頼を討てとはいえない。

家康は口実が見つかるのをじっと待った。



ランキングに参加しています
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ

いつもありがとうございます。



20170728.jpg




                   <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



ランキングに参加しています

人気ブログランキングへ







20140816 郡上おどり 002-1
I LOVE 郡上おどり













最新記事
カテゴリ
FC2カウンター
リンク
月別アーカイブ