「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その15

『大坂の陣はじまる』

秀頼が20歳に、千姫が16歳になった慶長17年6月16日、千姫は鬢そぎの儀式を行った。

男子の元服に似た儀式で、秀頼があまりに大きかったからでしょうか、千姫は碁盤の上に立ち、

秀頼が筍刀(元服の時、理髪にもちいた小刀)で、鬢の裾を少し切り取ったという。

千姫(1597-1666年)
se.千姫(肖像画)

儀式を終えたその夜、2人はようやく初夜を迎えたのでしょう。

家康の態度が微妙に変化したときで、そのことは秀頼にも千姫にもなんとなく感じられたことで

しょうから、2人の初夜はけっして華やいだものではなかったことでしょう。

同じ年、慶長17年3月、秀吉の悲願であった方広寺の大仏殿が落成した。

2年後の慶長19年、22歳になっていた秀頼は、8月に大仏殿ならびに大仏開眼の供養を行う

ため、3月頃から大仏殿の釣鐘を鋳ようと思い立ち、東福寺の住職・清韓に命じて鐘銘を撰述さ

せた。

それに「国家安泰」「君臣豊楽」という文字が刻まれていて、家康は言いがかりをつけた。

家康はわざと大坂方(大蔵卿ら)から片桐且元を離反させるように仕向ける。

且元を離反させるということはとりもなおさず、家康を敵に廻すということにで、大坂方はまん

まと家康の計略にはまり、家康と敵対して大坂冬の陣へと突入した。

この陣はいったん休戦するものの、再び翌年慶長20年、秀頼23歳の年の4月に両者は対立、

開戦する。

4月26日から始まったこの戦いは、大坂方の必死の抵抗と善戦はあったものの、もとより家

康に抗するすべもなく、5月5日の夕刻には総大将の家康・秀忠の父子が着陣。

6日から総攻撃に出た。



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                   <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
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