「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その18

『五大老宇喜多秀家』

南北朝時代以降の播磨の守護代・赤松氏の被官から身を起こした宇喜多氏は、これまた戦国の

梟雄といわれている直家の代になってついに主家・浦上氏を滅ぼし、備前・美作の大半を制し

て岡山に本城を構えるにいたった。

岡山城
ok.岡山城 20120210 006

宇喜多直家はいったん毛利についたが、のちに織田について信長が本能寺で討たれる前の年、

天正9年に没した。

跡を継いだのは当時わずか10歳の八郎、のちに秀家で、秀家は秀吉が晩年に設けた五大老の

一人に、家康、前田利家、上杉景勝、毛利輝元らと並んでわずか24歳で任ぜられる。

ちなみに、そのとき家康54歳、利家58歳、輝元43歳、景勝41歳。

異例の若さでの登用で、それだけ秀吉に可愛がられていたということであった。

ただ、領主としての能力には疑問符がつき、2度の朝鮮の役による財政難に苦しんでいるにも

かかわらず、財布の紐を引き締めようとせず、暮らし向きは放埓をきわめ、領民は苦しめられ

た。

秀家は利家の娘で、秀吉の養女で愛娘だった豪姫を妻に迎えており、豪姫が病気になったとき、

代々帰依している日蓮宗の僧に祈祷を命じた。

効き目は全くない。

秀家は怒って、領国内の日蓮宗の信者にキリシタンへの改宗を命じた。

それらのことが相次いで、重臣改修政策に賛成する派と反対する派に分かれ、また賛成する派

がキリシタンに改修して、反対する派が日蓮宗のままという。

宗教問題もからんで両者は激しく対立した。



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                <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
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