『女城主・井伊直虎』 その31

『井伊谷三人衆』

久しぶりに歴史が動きますので、直虎に戻ってみたいと思います。

家康の道案内をしたのは、井伊谷三人衆であった。

ii.井伊谷三人衆

菅沼忠久は一族である三河野田城の城主・菅沼定盈の要望によって、この任務を引き受けた。

忠久の父・元景は井伊直親に仕え、都田に住んでいた。

そして忠久も今川に仕えた後、直親の家臣となっている。

この忠久の妻が三人衆の一人、鈴木重時の長女だった。

その鈴木重時も井伊家とのつながりが深く、妻は奥山朝利の娘でした。また、妹は井伊直満の

妻になっているのです。

つまり重時の妹が直満と結婚して生まれたのが直親でした。

さらに重時の妻の妹(奥山氏)が直親と結婚して、虎松が生まれているのです。

鈴木氏は重時の父・重勝の時、井伊領に隣接する山吉田(新城市上吉田)を領して白倉城を築

き、井伊家とは常に友好関係にあり、三方原の戦いで武田の別動隊が三河から井伊領に入った

とき、井伊分家の井平氏と鈴木氏が仏坂で一緒に戦っている。

そしてもう一人の三人衆、宇利城(新城市中宇利)の城主・近藤康用だけは、井伊家とは関係が

ない。

康用は息子の秀用にこの2年前から指図して、三河の山吉田から井伊谷周辺の地理を入念に調べ

ており、しかも菅沼・鈴木とは親密だったことから、この三家が連合して家康の遠江進出の道案

内を務めることになったのです。

近藤康用は別として、菅沼忠久と鈴木重時はまさに井伊家を主君と仰いでいた。

そしてこの2人はかつて直親が家康を頼り、今川に反旗をひるがえそうとしていたこと、そのた

め小野但馬守の諫言にあって、掛川城下で殺されたことも十分すぎるほど良く知っていた。



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                    <参考文献:女城主・井伊直虎(楠戸義昭著)>
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No title

こんにちは!
解説ありがとうございました。
今夜の直虎が2倍楽しめます。

おばさん会社員  さま

おばさん会社員さん、こんにちは

いつもありがとうございます!

直虎は視聴率が下がって、苦戦のようですね。
創作が多すぎるからでしょうか。

がんばって欲しいものですねー
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