「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その28

『本多忠刻』

三方ヶ原の戦いで、徳川勢を一蹴した武田軍は戦いの後、こう囃した。

「家康に過ぎた物が2ツある。唐の頭に本多平八」

唐の頭とは舶来のヤクの尾の毛のことで、値が高く、誰でも容易にこれを兜に飾ることができな

かった。その唐の頭とおなじように本多平八郎忠勝は、家康には過ぎたる武将だと褒めた。

大多喜城
oo.大多喜城 20160815 005

この家康の四天王のひとりに数えられた本多忠勝は家康が関東八か国を領して江戸に入府し

たとき、上総国大多喜に10万石を与えられ、関ケ原の戦勝の後、伊勢桑名に同じように10万

石で封ぜられた。

当の本多忠勝は5年前の慶長15年に死去しており、後は忠勝の嫡男・美濃守忠政が継いだ。

忠政は家康の長子・岡崎信康の二女・熊姫を妻に迎えており、二人の間に忠刻という長子が生

まれていた。

この元和元年で20歳。

東海道を江戸に向かった千姫の一行は当然、伊勢桑名を通る。

桑名から尾張の宮までは海路になるため、千姫らは本多家の屋形船にのって宮に向かった。

その時、忠刻はわざわざ出向いて万端差配した。

千姫は19歳。

年は似合いでなんとなく忠刻のことを好ましく思ったという。

とはいえ、秀頼と死別したばかり、素敵なお方だなどと言えるものではなかった。

それでも忠刻の凛々しい姿が脳裏に焼き付いた。



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                <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
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