「謂れのない汚名を後世に晒した悲劇の女・千姫」 その37

『千姫、姫路へ』

三州吉田で15万2千石をとるに過ぎなかった池田輝政は妻・糸子を離縁し、小田原後家といわ

れた家康の娘・富子を後妻に迎え、富子の威光と後押しとねだりをして、みるみる所領を増やし

たという。

姫路城(姫路城ライトアップは「こちら」です。)
hi.姫路城ライトアップ 20150420 003

輝政父子だけで、播州52万石、備前28万石、淡路6万石の合計86万石、弟・長吉の因州鳥

取6万石を合わせると92万石。

加賀前田家の100万石に迫る大大名になった。

その後、時は移り、人は変わって、千姫が桑名に嫁いでいった翌年の元和3年、前妻・糸子系の

わずか8歳だった新太郎光政は因州と伯耆で32万石、居城を鳥取となった。

後妻・富子糸の忠雄は備前28万石と良正院(富子)の化粧料3万5千石を合わせて31万5千

石、居城を岡山となる。

播州では忠雄の弟・輝澄、政綱、輝興らが合わせて10万石を領していたが、光政が因幡と伯耆

に、忠雄が備前に移って、がらりと土地が空いた。

そこで、千姫は伯母の富子のようにおねだりをしたわけではないが、父・秀忠が結婚の引出物だ

といわんばかりに、忠刻の父・忠政に5万石を加増して播州で15万石とし、姫路の城も与える。

また、千姫の化粧料だといわんばかりに、まだ部屋住みだった忠刻に10万石を与える。

本多忠勝の本多家は、25万石を領するかなりの大名になった。

千姫は、元和3年8月から9月にかけて姫路に移住した。



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                 <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
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No title

夜に観る景色も素敵ですね。
ライトアップの記事もみました。
今度旅行したら生でも見てみたいですね。

ジャム  さま

ジャムさん、こんにちは。

城のライトアップは綺麗だと思っていますが、
なかには、ちょっと恐ろしいという人もいらっしゃる
ようです^^

姫路城も過激的混雑も山を越したでしょうから、
これからはゆっくりと見れるのかもしれませんね。

ぜひ、近くに行かれたら立ち寄られてください。
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