「小田原後家(督姫)の割り込み先」 その1

『狙われた池田輝政』

小牧・長久手の戦いは、織田信雄が中途半端に秀吉と和解したため、徳川家康は信雄に頼まれて

秀吉と争っているだけで、戦いを続ける理由がなくなったと家康は領国に引き上げ秀吉と和睦し、

秀吉に臣下の礼をとった。

徳川家康(岡崎城)
to.家康 岡崎城

だが、いずれ天下を奪いとるという野望まで捨ててはいなかったでしょう。

あとは生き残り競争で、秀吉より先に死んでしまえばそれまでだが、長生きすれば天下を奪いと

ろうと早くから決心していたのでしょう。

そのためにはより多く、諸将を味方に付けておかなければならない。

その一人として目をつけたのが池田輝政であった。

輝政は三州吉田の15万2千石の大名に過ぎないが、なかなかの器量人であると家康は見ていた。

それに石田三成、加藤清正、加藤嘉明、福島正則、小西行長、浅野長政らと違って、秀吉の子飼

いではない。

輝政は、秀吉の同僚だった勝入信輝の倅で、魚心次第でなびくと踏んだのでしょう。

家康には富子(督姫)という二女がいて、北条5代目の氏直に嫁いでいた。

この北条氏が秀吉に臣従せず、秀吉は氏直が本拠を置く小田原城攻略に向かって、天正18年7

月にこれを落とす。

氏直は高野山に追放されたので、富子はついていくことができず、実家に戻って小田原後家とい

われていた。



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                  <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
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