「小田原後家(督姫)の割り込み先」 その2

『正妻を捨て督姫を』

富子は永禄8年生まれで、天正18年でまだ26歳。

女としては熟れごろ、このまま後家にしておくのは哀れ。

こう思っていた家康は、思案に思案を重ねて白羽の矢を立てたのが、なんと糸子というきちんと

した正妻がいる池田輝政であった。

池田輝政(1565-1613年)
ik.池田輝政

輝政に嫁がせて、輝政を味方に引き入れようとしたのです。

まさに、当時の女性は道具だったのです。

秀吉は天下をとると、大坂に城を築き、諸大名とその家族を大坂に住まわせた。

といって後の徳川幕府のように女房子供に江戸住居を義務付けるような強制的なものではなかっ

たが、家康は伏見に輝政は大坂に屋敷を持ち、それぞれ家族も住まわせた。

そこで、家康はなにかにつけて輝政を屋敷に呼び、富子を同席させて、どうだろう、嫁にもらっ

てくれぬかと持ち掛けた。

輝政には思いもよらぬことで、むろん、ご冗談でしょうと相手にしなかった。

だが、家康の持ちかけは再三におよぶ。それでも無理なものは無理と、断るのが筋で男です。

しかし、輝政にも欲がある。

秀吉は子飼いをかわいがり、子飼いはろくな働きもないのに、だんだん加増されて20万石ほど

もとるようになった。

自分は15万2千石に据え置かれたまま。

豊臣の世がいつまでも続けば、並び大名のひとりに終わってしまう。

この後、順番からいうと秀吉の方が先に死ぬわけで、死んだらきっと家康が天下を横取りする。

そのとき、婿殿になっていたら扱いが違う。

間違いなく国持ち大名に取り立ててくれよう。

輝政はこう考え、家康の提案を受け入れることにした。



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                  <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>

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