家康の過酷な命を受けた千世姫 その15

『お人好しの千世姫の夫・忠隆』

領国の丹後宮津に帰って出陣の支度を整えた細川忠興は、3千の将兵を二陣に分け、忠隆を

第一陣の将として先発させた。

慶長5年6月23日のことで、祖父・幽斎が居城を構えている丹後田辺、若狭小浜、若狭熊

川を経由して琵琶湖湖畔の今津に出て、今津から船便で対岸の朝妻へという行路をとること

にしており、忠隆は忠興から朝妻で待てといわれた。

若狭小浜城(小浜城登城記は「こちら」です。)
ob.小浜城 001

若州に入って一泊。

翌日、若狭小浜の城下にさしかかった。

小浜は6万2千石木下勝俊の城下町で、城下の入口にさしかかろうとしたとき、城から使い

があっていう。

「太守(勝俊)は去就を明らかにしておられぬ。なのに、城下をお通りあるを見逃したとあ

らば、我らは後でお咎めをこうむるやもしれませぬ。と言って、通路を塞ぐの角立つことで

ござれば、脇道をお通りいただきたい」

丁重なるあいさつで、

「ごもっとも」

と答え、忠隆は脇道を通った。

忠隆の軍に長岡玄番頭興元という家老が付き従っていた。

家老とはいえ、興元は忠興の弟、忠隆には叔父にあたる。

忠隆に少し遅れて進軍していた興元にも木下勝俊の使いは言った。

「脇道をお通りくだされ」

興元はみるみる面色を変えて言った。

「これから戦場に赴こうというのだ。なにゆえ脇道を通らねばならぬ。通さぬとあらば打ち破

るまで、どかれよ」

興元や従軍している兵は肩肘を張り、草摺りならして押しとおった。

忠隆は指示通り朝妻で父・忠興を待った。



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                <参考文献:戦国女人抄おんなのみち(佐藤雅美著)>
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No title

小浜城主・木下勝俊は北の政所のおいで、優れた歌人ではありましたが、おばに似ず、政治力なし、武将としてはダメな人だったのはこの後の物語の展開とも関係してくるはずで、そのあたりのことをもう少し詳しく書いていただきたかったと思います。これからの展開をどのように記されるか、楽しみにしております。

たんめん老人さま

たんめん老人さん、こんにちは。

コメントありがとうございます!

小浜城は、忠興さんが息子を叱るために引用しただけで、残念
ながら、この先に小浜城下の話へと展開は予定がありません。

小浜城は海城として、海運拠点のひとつだったのでしょうね。

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