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『女城主・井伊直虎』 その60

『直政撃たれる』

島津軍1千余りは義弘を真ん中に、鉾のように切っ先鋭く、敵陣を刺し貫く陣形で一丸となって

家康の本陣に向かって突進し、その横を通り抜けた。

東軍の将兵は何が起きたのか理解できず、一瞬あっけにとられた。

島津軍の捨て奸(すてがまり)戦法による退却
島津軍退却

だが事態を呑み込むと、直政は松平忠吉とともに島津軍を追撃した。

島津軍は銃を放ち、槍を繰り出して、人馬一体となってこれをしのいだ。

伯父の義弘に生きて薩摩に地を踏んでほしいと、島津豊久は踏みとどまって井伊軍らを押し止め、

時間を稼いで壮絶な戦死をした。

義弘の家老・長寿院盛敦は乱戦の中で馬を立て、羽織をまとい、団扇をかざして「殿さまはここ

に御座る」と呼ばせて、義弘の身代わりになって死んだ。

島津軍の死を決した応戦に多くの死傷者を出しながら、直政は執拗に追跡し、ついに義弘を包囲

した。

だがその時、義弘の家臣・柏木源藤が狙撃した銃弾が、直政の右肘を打ち抜き、落馬した。

井伊軍がひるむ間に義弘は危地を脱出し、この後、3日がかりで200kmの距離がある堺に辿

り着き、無事に船で薩摩に戻った。

直政の傷は大したことがないようにみえた。

事実、直政はこの後の三成の居城で、父・正継が守る佐和山城の攻撃に加わっている。


家康は先陣を直政に命じたが、小早川秀明が強く望んだので、直政は二陣に定められたとい

う。

それほどこの時、直政は元気であった。

佐和山城は関ケ原合戦から3日後の9月18日に陥落した。



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              <参考文献:女城主・井伊直虎(楠戸義昭著)>
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