姉川の戦い その9

『実利主義の信長』

信長は、義昭から感状と足利の家紋以外に

「足利幕府の管領・斯波氏の家督を相続するように」

といってきたのには、信長は、さすがに閉口したらしい。

足利義昭(1537-1597年)
as.足利義昭 002

斯波氏は、三管領の筆頭とされていたから、副将軍の格式である。

義昭は、この格式を信長に与えれば、田舎の成り上がり大名のことだから、きっと、面目この上

ないものと思い、今後とも足利将軍に忠節に励むに相違ないと、計算した。

しかし、信長は

「感状と足利の家紋は、ありがたく頂戴するが、管領・斯波氏の家督を相続するのは、陪臣の家

柄の信長としては勿体なさすぎる」

といって辞退した。

そして、その代わりにと称して、和泉国の堺、近江国の大津と草津に信長の代官を置かせて欲し

いと、義昭に願い出た。

義昭は、感状と家紋だけを押し戴き、管領職を辞退した信長のことを、謙譲の美徳のしからしめ

るところと勘違いし、代官所設置の申出を快く許可した。

しかし、信長が管領職を辞退したのは、謙譲の美徳でも、なんでもない。下手に管領などにされ

たら、生涯、義昭に頭が上がらなくなる。

管領職が将軍に逆らえば、反逆の汚名をきせられてしまうからです。

いまさら13代将軍・義輝を殺した三好や松永の二の舞を踏みたくなかったのです。

信長にとっては、管領職などよりも、海陸交通の要所にあたる堺・大津・草津の町に代官を置き、

ここを直轄領とすることのほうが、はるかに有利と考えた。

商業経済の中心地である都市の重要性に目をつけるところは、さすがに家柄だとか、家紋だとか、

官位などという格式や因襲ばかりを、後生大事にかかえこんでいる足利義昭とは、頭の構造から

して違っていたのです。



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                   <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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