姉川の戦い その25
『信長窮地』
宇佐山危急の報に接すると、信長はただちに野田・福島の囲みを解き、上洛したが、まもなく軍
を近江の坂本に進めた。
3万の大軍をあやつること、手足のごとくで、実に神出鬼没の早業です。
織田信長

浅井・朝倉も、強豪鬼のごとき信長に対して、一計を案じ、軍を分け一部隊を比叡山に登らせ、
東上する織田軍をむかえ討とうとした。
この作戦には、信長も閉口し、山門の僧徒を招き、寺領の還付を条件として、内応を促し、これ
を拒否するときには、満山を焼亡させるといって威嚇するも、僧徒が応じない。
信長は、ついに比叡山を包囲し、谷々を焼き払った。
これを知った浅井・朝倉軍は、密使を越前に飛ばし、総大将・朝倉義景の赴援を求めた。
義景は、さらに2万の大軍を率いて、比叡山の麓に押し寄せた。
10月16日のことである。
信長は、ただちに宇佐山城に寄って朝倉軍と決戦を試みようとしたが、義景は満を持して動か
ない。
そのうちに本願寺の門徒が山崎に陣し、御牧城を抜いたので、浅井・朝倉勢も、これに呼応して
比叡山をくだり、一乗寺あたりに火を放った。
同時に、六角義賢も攻勢に出てきた。
形勢の不利を見てとった信長は、再び、盟友徳川家康に赴援を求めた。
家康はこれに応じ、石川家成を将として、三河の精鋭2千騎を派遣した。
家康は、信長の指示を受け、江西の勢田・草津の間に陣し、六角勢に対抗した。
そのため、信長の戦況もようやく有利に展開してきた。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
宇佐山危急の報に接すると、信長はただちに野田・福島の囲みを解き、上洛したが、まもなく軍
を近江の坂本に進めた。
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織田信長

浅井・朝倉も、強豪鬼のごとき信長に対して、一計を案じ、軍を分け一部隊を比叡山に登らせ、
東上する織田軍をむかえ討とうとした。
この作戦には、信長も閉口し、山門の僧徒を招き、寺領の還付を条件として、内応を促し、これ
を拒否するときには、満山を焼亡させるといって威嚇するも、僧徒が応じない。
信長は、ついに比叡山を包囲し、谷々を焼き払った。
これを知った浅井・朝倉軍は、密使を越前に飛ばし、総大将・朝倉義景の赴援を求めた。
義景は、さらに2万の大軍を率いて、比叡山の麓に押し寄せた。
10月16日のことである。
信長は、ただちに宇佐山城に寄って朝倉軍と決戦を試みようとしたが、義景は満を持して動か
ない。
そのうちに本願寺の門徒が山崎に陣し、御牧城を抜いたので、浅井・朝倉勢も、これに呼応して
比叡山をくだり、一乗寺あたりに火を放った。
同時に、六角義賢も攻勢に出てきた。
形勢の不利を見てとった信長は、再び、盟友徳川家康に赴援を求めた。
家康はこれに応じ、石川家成を将として、三河の精鋭2千騎を派遣した。
家康は、信長の指示を受け、江西の勢田・草津の間に陣し、六角勢に対抗した。
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