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姉川の戦い その31

『浅井家の終焉』

信長は7月になって、初陣の嫡男・信忠を従え、虎御前山の本陣と並んだ雲雀山にも要塞を築く

と同時に、木下秀吉に命じて、阿閉貞征がたてこもる山本城を攻めさせた。

また草野谷に火を放ち、浅井方の尖兵を大吉寺に追い上げ、これを殺戮した。

朝倉義景が1万5千、朝倉景鏡が5千、あわせて2万の大軍が越前から南下してきたのは、この

ときであった。

浅井長政自刀の地
as.浅井長政自刃の碑

信長は、ただちに朝倉軍と小谷山麓で対峙した。

兵力のうえでは信長の方が、もちろん優勢です。

それに織田軍は、これと同様の布陣で姉川合戦に大勝した経験をもっていて、士気があがらない

わけはない。

しかし、こんどの戦いが、姉川合戦と違う点は徳川家康からの援兵が一騎も参加していないこと

であった。

とういのも、そのころ三河岡崎城を嫡男の信康に譲り、遠江の浜松城にいた家康は、全軍を遠江

に集結させていたのです。

重大な局面の大敵は、甲斐の強豪・武田信玄だったのです。

この後の小谷城の運命は、みなさんがご存知のとおりです。


31回にわたり、姉川の戦いにお付き合い頂き、ありがとうございました。

次回の合戦は、武田信玄Vs徳川家康の三方ヶ原の戦いを勉強してみたいと思います。

よかったらお付き合いください。



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いつもありがとうございます。


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                      <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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ジャンル : 学問・文化・芸術

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堪能させていただきました。

 姉川の戦い!
堪能させていただきました。
信長のしたたかさを知りました。
 三方ヶ原も楽しみにしております。
  路傍学会長拝

路傍学会長 さま

路傍学会長さん、こんにちは。

姉川の戦いは、小谷城攻めの陰に隠れて、あまりスポットが
あたることはないですね。
確かに信長さんはしたたかな親分であったようですね。

戦いは時代背景が浮き上がってくるところが勉強になります。
三方ヶ原の戦いもよろしくお願いします。
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