「三方ヶ原の戦い」 その6

『信玄Vs家康の前奏曲』

家康は永禄12年(1569年)2月18日、上杉謙信の家老・河田長親に書状を送り、よし

みを通じたが、翌元亀元年(1570年)10月には、改めて謙信に誓書を出している。

家康が信玄との同盟を破棄し、織田信長にすすめて、謙信と信長とが同盟するための便宜を図

ることを誓ったのです。

高天神城址
ta.高天神城

信玄と家康は、このようにして、しだいに交戦状態に入っていったのです。

元亀2年(1571年)3月から5月にかけて、信玄はしきりに遠江や三河に侵入し、徳川方

の城を攻めた。

まず、遠江東葛に要害高天神城を攻めたが小笠原長忠の守備が堅固なので、一旦引き上げ、4

月になると、嫡男の武田勝頼とともに、方向を転じて、三河に侵入し、足助・浅賀井・阿須利・

八桑・大沼・田代の諸城を抜き、東三河に進出し、野田城に迫った。

また、浜松から来援した家康に軍勢を吉田城に攻めたが、容易に落ちないと見ると、5月上旬、

甲斐に引き揚げる。

信玄の戦術は、このように遠江を攻めるかと思えば、三河に侵入する、といった具合に、進退

の駆け引きがあざやかなのです。

これを啄木鳥(きつつき)の兵法といいます。

『甲陽軍艦』によると、啄木鳥は、木の中の虫を捕えるのに、穴の反対側突き、虫が驚いて、そ

の木の穴を這い出るところを巧みに捕らえる。虫の習性を見て、これを戦術に応用したのだとい

う。

武田勢の啄木鳥の兵法に対して、三河武士の闘志も燃えたち、干戈(かんか)の雄たけびは、

いよいよ激しくなり、ついに遠州三方ヶ原で、信玄対家康の決戦が行われるが、この年の戦いは、

まだ、その前奏曲であった。



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robin 20180414




                     <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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雫 さま

雫さん、こんにちは

信玄公は、迫力ある武将のひとりですから、

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です^^
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