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「三方ヶ原の戦い」 その18

『二俣城落城』

日夜、鉦(かね)・太鼓をたたいて攻めかかる武田勢にたいして、切り立った断崖と空堀、それ

に天竜川に注ぐ二俣川が三方を巡る、天険の要害に守られ二俣城の兵はよく戦った。

ところが、そこへ一大危機が襲った。

二俣城天守台
fu.二股城

それは力攻めの非を悟った武田軍が、にわかに二俣城の水の手を断ったからです。

当時、城兵の命の綱である水は、天竜川に面した城壁の上に滑車をかけてくみ上げていた。

これを見た武田軍は激流を利用して、大綱で組んだイカダを上流から、この水櫓めがけて勢い

よく何度もぶつけ、ついに釣瓶縄を切ってしまたのです。

水がなくては籠城もできない。

それからの城兵たちは、満々とたたえる大河を目の前にして、炊ぎの水にもことかく有様となっ

た。

干殺しの戦術にかかったわけです。

二俣城が落城したのは、12月19日のことだった。

守将・中根正照以下は、家康の許可を得、城を武田軍に明け渡し、人質まで取られ、やっとの思

いで浜松に引き揚げた。

こうして武田軍の進撃は、あたかも将棋の駒を進めるかのように、一歩一歩と正確に遠江に侵入

し、浜松も、もう目と鼻のさきにあった。

もちろん、家康は幾度となく織田信長のもとへ使者を送り、援兵の催促をした。

しかし、このころの信長は、信玄の包囲作戦に加わった浅井・朝倉や、石山本願寺の指令を受け

た伊勢長島の一向一揆の後方かく乱戦術のため、釘づけにされ身動きもできない。

そのうえ、織田の援兵を予期した信玄が美濃方面に向かわせた秋山信友が率いる部隊が、岐阜に

迫っていたため、アリ一匹這い出る隙もなかった。



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                     <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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