「三方ヶ原の戦い」 その30

『勝利は五分を上とする』

三方ヶ原における徳川軍の敗北は、決して家康の戦術が誤っていたからではなく、家康とて退く

にひけない闘魂を燃やし、必死に抵抗を試みたのです。

采配をふるう大将の器量によほどの相違でもない限り、遭遇戦では兵力の優勢なほうが勝つのが

当然なのでしょう。

武田信玄(1521-1573年)
ta.武田信玄 002

それは両軍が四つに取り組んだ場合、その過剰な兵力を敵の側面、または背面に廻すことができ

るからです。

三方ヶ原でも、最初は徳川軍も武田の第一線を圧する勢いを見せたが、武田の第二線が、側面に

廻り、徳川が崩れかけたところを、武田の第三線と予備隊で一挙に衝かれ、徳川の全軍が総崩れ

の憂き目を見たのです。

しかし、この合戦の場合、信玄の戦術の巧みさが、大きく目立っている。

優勢な兵力を備えながらも、その行動はあくまでも慎重で、敵を場外に誘い出し、しかも攻撃時

刻を徳川軍の地の利の悪いところまで引きつけて、開始しているところなど、やはり、信玄の独

壇場といってよかった。

また、三方ヶ原戦勝の直後、信玄は浜松城を攻めなかった。

三方ヶ原で徳川勢に大打撃を与え、総攻撃をもってすれば、浜松城を陥れる余力を十分に持ちな

がら、しかも攻めていない。

信玄は、日ごろ戦いの極意として

「勝利は五分を上とし、七分を中とし、十分を下とす。五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、

十分はおごりを生ず」

と、語っていたという。

もちろん、これは甲州流軍学者・小幡景憲の言葉なのでしょう。



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                           <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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