FC2ブログ

「三方ヶ原の戦い」 その31

『犀ヶ崖古戦場』

三方ヶ原の信玄は、十分の勝利を得ながら、決しておごらなかったという。

勝運にありながら、織田方の新手の後詰め警戒し、また、はげしい行動と激戦に疲れ果てた将兵

を、これ以上疲弊させぬためでもあった。

信玄の目的は、なんといっても上洛にあったからでしょう。

犀ヶ崖古戦場
sa.犀ヶ崖
(浜松市HPよりお借りしています)

そこで、時を見計らって、信玄は徳川軍の追撃をやめさせ、その夜は、犀ヶ崖と呼ぶ地に陣し、

昼間の戦闘に参加しなかった予備隊・穴山梅雪を全前面に配置し、警固につかせている。

犀ヶ崖(さいががけ)の夜襲というのは、この武田の本陣を目がけて、徳川の部将・天野康景と

大久保忠世が、16人の銃手を集め、鉄砲玉を撃ち込んだので、三河武士の根性を示す美談とし

て、語り伝えられている。

犀ヶ崖というのは、浜松城より西北2.5kmの名残町付近の台地にできた亀裂で、幅30m、

東西約2kmに渡る両岸絶壁の深い谷となって走っている。

深さ9mの谷底には一筋の小川が流れている。

勝ち戦で気がゆるんでいるところへ、いきなり鉄砲玉をあびせかけられ、暗夜で敵の兵力も確認

できない武田軍は、大騒動して、この犀ヶ崖に落ち込んで死んだ者も数多く、三河武士の面目を

大いにほどこしたというのです。

この話は、浜松市の北にある八幡宮の境内にある樹齢千年といわれる楠の老木にまつわる伝説と

して土地の人に伝えられています。

しかし、この話も面白くでき過ぎています。

家康が夜襲させたことは、考えられなくもないが、こうした伝説は、後世に土地の人が、神秘的

な犀ヶ崖をながめ、ふと、そんな気がして作り上げたものなのでしょう。



ランキングに参加しています
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ

いつもありがとうございます。


robin 20180515




                <参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 歴史雑学
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

piglet01

Author:piglet01
Piglet01のブログへようこそ!!


平成26年6月30日に100城を制覇しました!

城郭ライトアップの撮影にチャレンジします。


「日本百名城塗りつぶし同好会」にも参加しています。

会員番号:908です。

日本百名城塗りつぶし同好会

パーソナルURLは、「リンク」の「日本百名城塗りつぶし同好会」からお願いします。


*参考文献:日本100名城公式ガイドブック、Wikipedia



ランキングに参加しています

人気ブログランキングへ







20140816 郡上おどり 002-1
I LOVE 郡上おどり













最新記事
カテゴリ
FC2カウンター
リンク
月別アーカイブ