「長篠の戦い」 その2
『朝倉氏滅亡』
織田信長は、信玄没の好機を利用し、信玄と通じていた将軍・足利義昭を追放し、さらに8月、
朝倉義景を打つため出陣した。
朝倉義景(1533-1573年)

これから朝倉の運命は急転直下、滅亡の淵へ追いやられる。
すなわち、家臣らは相次いで信長方に降り、義景は平泉寺の僧徒に救援を求めたが、僧徒は
かえって一乗谷に押し寄せ、城郭・仏閣・僧房に放火した。
暗天を黒煙は3日間にわたって一乗谷を覆ったという。
義景は大野の洞雲寺から六坊賢寺に移ったが、かねてから謀反の志をいだいていた一族の朝倉
景鏡に包囲された。
義景はこれまでと覚悟し
「憎き景鏡が振る舞いかな、われ今ここに相果つとも、汝の生命は必ず3年のうちに断つべし」
と呪詛の声を放って自刃した。
天正元年8月20日のことであった。
景鏡は義景の首級を信長に献じ、この功によって大野郡亥山城の本領を安堵されている。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
織田信長は、信玄没の好機を利用し、信玄と通じていた将軍・足利義昭を追放し、さらに8月、
朝倉義景を打つため出陣した。
朝倉義景(1533-1573年)

これから朝倉の運命は急転直下、滅亡の淵へ追いやられる。
すなわち、家臣らは相次いで信長方に降り、義景は平泉寺の僧徒に救援を求めたが、僧徒は
かえって一乗谷に押し寄せ、城郭・仏閣・僧房に放火した。
暗天を黒煙は3日間にわたって一乗谷を覆ったという。
義景は大野の洞雲寺から六坊賢寺に移ったが、かねてから謀反の志をいだいていた一族の朝倉
景鏡に包囲された。
義景はこれまでと覚悟し
「憎き景鏡が振る舞いかな、われ今ここに相果つとも、汝の生命は必ず3年のうちに断つべし」
と呪詛の声を放って自刃した。
天正元年8月20日のことであった。
景鏡は義景の首級を信長に献じ、この功によって大野郡亥山城の本領を安堵されている。
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