「長篠の戦い」 その30
『信長・家康軍の勝利』
信長は3月5日、安土を出発し、6日に仁科盛信(19歳)の首を呂久川で検分して長良川にさ
らした。
14日、波合で勝頼父子の首を見て、これを飯田にさらした。
織田信長

信長はその首級を見たとき
「日本に隠なき弓取なれども、運が尽きさせ給ひて、かく成らせ給ふものかな」
といったことが、徳川方の記録にある。
20日、上諏訪で徳川家康に会見し、駿河・上野・甲斐・信濃四ヵ国の侍たちが、色々なツテを
求めて挨拶に来ることは勝ち戦の常で、信長の宿舎は門前市をなす有様であったといいます。
ここで論功行賞により、小笠原信嶺・穴山梅雪には旧領を、木曾義昌には旧領筑摩郡のほかに安
曇郡を加え、滝川一益には信濃2郡(小県・佐久)および上野を与えた。
駿河は家康に、甲斐および諏訪郡を河尻秀隆に、信濃4郡(高井・水内・更科・埴科)を森長可
に、伊那郡を毛利秀頼に与えた。
信長は4月10日に甲府を去り、21日に安土に凱旋した。
その陣中から松井有閑にあてた手紙では
「このように30日や40日で一挙に片付いたことは、我ながら驚くばかりである」
といっている。
信長はそうとうに満足であったのでしょう。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
信長は3月5日、安土を出発し、6日に仁科盛信(19歳)の首を呂久川で検分して長良川にさ
らした。
14日、波合で勝頼父子の首を見て、これを飯田にさらした。
織田信長

信長はその首級を見たとき
「日本に隠なき弓取なれども、運が尽きさせ給ひて、かく成らせ給ふものかな」
といったことが、徳川方の記録にある。
20日、上諏訪で徳川家康に会見し、駿河・上野・甲斐・信濃四ヵ国の侍たちが、色々なツテを
求めて挨拶に来ることは勝ち戦の常で、信長の宿舎は門前市をなす有様であったといいます。
ここで論功行賞により、小笠原信嶺・穴山梅雪には旧領を、木曾義昌には旧領筑摩郡のほかに安
曇郡を加え、滝川一益には信濃2郡(小県・佐久)および上野を与えた。
駿河は家康に、甲斐および諏訪郡を河尻秀隆に、信濃4郡(高井・水内・更科・埴科)を森長可
に、伊那郡を毛利秀頼に与えた。
信長は4月10日に甲府を去り、21日に安土に凱旋した。
その陣中から松井有閑にあてた手紙では
「このように30日や40日で一挙に片付いたことは、我ながら驚くばかりである」
といっている。
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<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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