天下の覇者 「徳川家康」 ≪方広寺鐘銘事件≫
三河の一大名から天下の覇者となった武将
≪方広寺鐘銘事件≫
1614年 72歳 豊臣氏は家康の勧めで4月に方広寺を再建しており 8月3日に大仏殿の開眼供養を
行うことにした
ところが家康は 方広寺の梵鐘の銘文中に不吉な語があると供養を差し止めた
問題とされたのは「国家安康」「君臣豊楽・子孫殷昌」「右僕射源朝臣」の部分であった
「国家安康」を「家康の名を分断して呪詛する言葉」とし「君臣豊楽・子孫殷昌」は豊臣氏を君として
子孫の殷昌を楽しむとした
国家安康の梵鐘(重要文化財)とその銘文
さらに「右僕射源朝臣」については「家康を射るという言葉だ」と非難したのである
これに対して豊臣氏は 家老・片桐且元と鐘銘を作成した文英清韓を駿府に派遣し 家康に弁明を
試みた
ところが家康は会見すら拒否し 逆に清韓を拘束し且元を大坂へ返した 且元は秀頼の大坂城退
去などを提案し妥協を図ったが豊臣氏は拒否
そして豊臣氏が9月26日に且元を家康と内通しているとして追放すると 家康は豊臣氏が浪人を集
めて軍備を増強していることを理由に豊臣氏に宣戦布告したのである
この事件は 豊臣家攻撃の口実とするために家康が崇伝らと画策して問題化させたものであると
の考え方が一般的である
当時 基本的に諱で呼ぶことができるのは両親・主君そして敵であって 通常は名字+官職名もし
くは通名などで呼び諱で呼ぶことは非常に無礼とされたことを考えると 家康側が全面的にこじつ
けたものではなく 豊臣側の手落ちか あるいは主家という立場から意図的に侮蔑したともいわ
れる
そして同時に留意しなければならないことは家康の言いがかりともとれる難題に対し それを批判
したり 調停を買って出る大名がこの段階では豊臣恩顧の大名においては存在しなくなっていた
超ラブ・ラブなpigletとsa-ko嬢
『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
正解は:茶々
秀吉は信長の妹、お市の方にずっと憧れていましたが、お市の方は浅井長政の正室と
なった後、柴田勝家に嫁ぎました。
そして信長の跡目争いで、秀吉が勝家を攻め込んだ時にお市の方は勝家と共に自害し
てしまいます。その時に城に残っていた3人の娘のうち一番お市の方の面影のあった
茶々を側室にしたと言われています。
≪本日の問題≫
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応援ありがとうございました
≪方広寺鐘銘事件≫
1614年 72歳 豊臣氏は家康の勧めで4月に方広寺を再建しており 8月3日に大仏殿の開眼供養を
行うことにした
ところが家康は 方広寺の梵鐘の銘文中に不吉な語があると供養を差し止めた
問題とされたのは「国家安康」「君臣豊楽・子孫殷昌」「右僕射源朝臣」の部分であった
「国家安康」を「家康の名を分断して呪詛する言葉」とし「君臣豊楽・子孫殷昌」は豊臣氏を君として
子孫の殷昌を楽しむとした
国家安康の梵鐘(重要文化財)とその銘文
さらに「右僕射源朝臣」については「家康を射るという言葉だ」と非難したのである
これに対して豊臣氏は 家老・片桐且元と鐘銘を作成した文英清韓を駿府に派遣し 家康に弁明を
試みた
ところが家康は会見すら拒否し 逆に清韓を拘束し且元を大坂へ返した 且元は秀頼の大坂城退
去などを提案し妥協を図ったが豊臣氏は拒否
そして豊臣氏が9月26日に且元を家康と内通しているとして追放すると 家康は豊臣氏が浪人を集
めて軍備を増強していることを理由に豊臣氏に宣戦布告したのである
この事件は 豊臣家攻撃の口実とするために家康が崇伝らと画策して問題化させたものであると
の考え方が一般的である
当時 基本的に諱で呼ぶことができるのは両親・主君そして敵であって 通常は名字+官職名もし
くは通名などで呼び諱で呼ぶことは非常に無礼とされたことを考えると 家康側が全面的にこじつ
けたものではなく 豊臣側の手落ちか あるいは主家という立場から意図的に侮蔑したともいわ
れる
そして同時に留意しなければならないことは家康の言いがかりともとれる難題に対し それを批判
したり 調停を買って出る大名がこの段階では豊臣恩顧の大名においては存在しなくなっていた
超ラブ・ラブなpigletとsa-ko嬢
『戦国クイズ』
≪昨日の解答≫
正解は:茶々
秀吉は信長の妹、お市の方にずっと憧れていましたが、お市の方は浅井長政の正室と
なった後、柴田勝家に嫁ぎました。
そして信長の跡目争いで、秀吉が勝家を攻め込んだ時にお市の方は勝家と共に自害し
てしまいます。その時に城に残っていた3人の娘のうち一番お市の方の面影のあった
茶々を側室にしたと言われています。
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ちょっ、ちょっとぉ~!!
どおしかんですか?!!
ピグしゃんとさ子しゃん、超らぶらぶぢゃないですか~。
花ちゃん、梅ちゃんに続いて、竹ちゃんとか、松ちゃんとか誕生か?!!笑。
ピグしゃんとさ子しゃん、超らぶらぶぢゃないですか~。
花ちゃん、梅ちゃんに続いて、竹ちゃんとか、松ちゃんとか誕生か?!!笑。
No title
ヤキモチを妬きたくなるほどの、
pigletさんとsa-ko嬢さんのラブラブぶり
sa-ko嬢さんからのお返しはあるんでしょうか?
そらもよくあずきをこんな幸せそうな顔で舐めてあげては
自分にもお返しを期待して、頭を下げてもあずきは知らん顔の繰り返し(笑)
まあ男の子同士なので仕方ないですけどね。
sa-ko嬢さんは、そんな冷たい事はしないでしょうね。
pigletさんとsa-ko嬢さんのラブラブぶり
sa-ko嬢さんからのお返しはあるんでしょうか?
そらもよくあずきをこんな幸せそうな顔で舐めてあげては
自分にもお返しを期待して、頭を下げてもあずきは知らん顔の繰り返し(笑)
まあ男の子同士なので仕方ないですけどね。
sa-ko嬢さんは、そんな冷たい事はしないでしょうね。
コーン さま
> どおしかんですか?!!
もともと仲がいいのですよ!
この熱いに見せつけてくれています。
もともと仲がいいのですよ!
この熱いに見せつけてくれています。
あず さま
> ヤキモチを妬きたくなるほどの、
> pigletさんとsa-ko嬢さんのラブラブぶり
> sa-ko嬢さんからのお返しはあるんでしょうか?
> そらもよくあずきをこんな幸せそうな顔で舐めてあげては
> 自分にもお返しを期待して、頭を下げてもあずきは知らん顔の繰り返し(笑)
> まあ男の子同士なので仕方ないですけどね。
> sa-ko嬢さんは、そんな冷たい事はしないでしょうね。
sa-ko嬢はpigletに対しては、積極的に近寄って行く事は少ないです。
鼻ナデが大好きですから、食事中であっても中断し鼻突き出しで
ナデナデを要求しています。
うさぎは、縄張り意識が強いといいますので、男の子同士で仲良く
なれることは、凄いことだと思います。^^
> pigletさんとsa-ko嬢さんのラブラブぶり
> sa-ko嬢さんからのお返しはあるんでしょうか?
> そらもよくあずきをこんな幸せそうな顔で舐めてあげては
> 自分にもお返しを期待して、頭を下げてもあずきは知らん顔の繰り返し(笑)
> まあ男の子同士なので仕方ないですけどね。
> sa-ko嬢さんは、そんな冷たい事はしないでしょうね。
sa-ko嬢はpigletに対しては、積極的に近寄って行く事は少ないです。
鼻ナデが大好きですから、食事中であっても中断し鼻突き出しで
ナデナデを要求しています。
うさぎは、縄張り意識が強いといいますので、男の子同士で仲良く
なれることは、凄いことだと思います。^^
No title
凄い!!
ラブラブですね・・・(*^^)v
ふふ。。
かわいすぎですぅ!(^^)!
ラブラブですね・・・(*^^)v
ふふ。。
かわいすぎですぅ!(^^)!
すみこ さま
> 凄い!!
> ラブラブですね・・・(*^^)v
> ふふ。。
> かわいすぎですぅ!(^^)!
この暑さに、熱々ぶりは迷惑ですね!
> ラブラブですね・・・(*^^)v
> ふふ。。
> かわいすぎですぅ!(^^)!
この暑さに、熱々ぶりは迷惑ですね!
No title
この事件は家康側のこじつけと言う見方が一般的なんだろうけれど、個人的にはあまり出来ない気がするんですよね~
時代背景考えたらやっぱり大変な出来事だと思う
言霊の世界だし
現代と違って非常に言葉に気を遣っていた
これは明らかに家康に対する呪詛でしょう
そもそも、それを知らずに書けないし
なんて思いました(笑)
時代背景考えたらやっぱり大変な出来事だと思う
言霊の世界だし
現代と違って非常に言葉に気を遣っていた
これは明らかに家康に対する呪詛でしょう
そもそも、それを知らずに書けないし
なんて思いました(笑)
もいちぃ さま
> この事件は家康側のこじつけと言う見方が一般的なんだろうけれど、個人的にはあまり出来ない気がするんですよね~
> 時代背景考えたらやっぱり大変な出来事だと思う
> 言霊の世界だし
> 現代と違って非常に言葉に気を遣っていた
> これは明らかに家康に対する呪詛でしょう
> そもそも、それを知らずに書けないし
> なんて思いました(笑)
当時の背景として、豊臣方の家康に対する思いが込められているのは、
間違いないでしょうね。
完全に豊臣方の時代が終わっていたという認識がなかったのでしょうね。
個人的には、研究結果/主義・主張を記事にするブログではありませんしね・・・。^^
> 時代背景考えたらやっぱり大変な出来事だと思う
> 言霊の世界だし
> 現代と違って非常に言葉に気を遣っていた
> これは明らかに家康に対する呪詛でしょう
> そもそも、それを知らずに書けないし
> なんて思いました(笑)
当時の背景として、豊臣方の家康に対する思いが込められているのは、
間違いないでしょうね。
完全に豊臣方の時代が終わっていたという認識がなかったのでしょうね。
個人的には、研究結果/主義・主張を記事にするブログではありませんしね・・・。^^