北陸平定 その16
『利家への悪感情』
佐々成政は、天正12年6月、まず宿敵の上杉景勝と和を講じて、両面作戦を避けようと計った。
景勝がこれに応じなかったので失敗したが、決心を変えずに西に向かって行動を開始した。
西は能登と加賀です。
織田信雄(1558-1630年)

そしてその領主は、前年以来、秀吉の無二の腹心と化した前田利家なのです。
ここへの侵入は、まず第一に利家が秀吉のために軍勢を東海に派遣することを不可能にする。
そして、逆に秀吉は利家を助けるために、その兵力を割かねばならないことになるのです。
これは織田信雄がもっとも望むところであったのです。
第二は、利家個人に対する悪感情です。
成政と利家は、利家がまだ信長の小姓であったころから疎遠であった。
それに利家は、成政がもっとも嫌いな奴だと思っている秀吉とは親しい。
両者の間は、こうした因縁があって、ますます冷たい中となって、柴田勝家滅亡後は、まさに犬
猿の仲となっていたのです。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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そしてその領主は、前年以来、秀吉の無二の腹心と化した前田利家なのです。
ここへの侵入は、まず第一に利家が秀吉のために軍勢を東海に派遣することを不可能にする。
そして、逆に秀吉は利家を助けるために、その兵力を割かねばならないことになるのです。
これは織田信雄がもっとも望むところであったのです。
第二は、利家個人に対する悪感情です。
成政と利家は、利家がまだ信長の小姓であったころから疎遠であった。
それに利家は、成政がもっとも嫌いな奴だと思っている秀吉とは親しい。
両者の間は、こうした因縁があって、ますます冷たい中となって、柴田勝家滅亡後は、まさに犬
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