小田原平定 その1
『徳川家と後北条家の結婚政略』
天正11年(1583年)8月15日、徳川家康の2女・督姫は、北条氏政の嫡男の氏直のもと
に嫁入りした。
氏直は22歳、督姫は19歳で、氏政は46歳、家康は42歳のときであったという。
督姫(1565-1615年)

督姫の結婚話は、その前年の10月29日、家康と氏政の和議に成立によって行われたものであ
り、このときの和議は、次のようなものであった。
1.甲斐と信濃の2国は、家康の占領にまかせる。後北条氏は、これに対して異議を申し立てな
いこと。
2.上野国の沼田は、信濃の上田城主・真田昌幸の相伝の領地であるが、真田昌幸が北条方を離
れて家康方に服属するうえは、沼田は氏直の所領とする。そのかわりに家康は、真田昌幸に沼
田の替地を与えること。
3. 家康は、その第2女の督姫を氏直の嫁にすること。
この督姫の結婚は、今やその領国を5ヵ国(駿河・遠江・三河・甲斐・信濃)に拡大した家康が、
本能寺の変(天正10年6月)以後の政局を変転に対して、自分の領国の安定化をはかるために
採用した政略結婚であった。
家康は、政略結婚させた督姫の存在のために、これ以後、後北条氏の滅亡の後にいたるまで、秀
吉と後北条氏の間に位置して、思いもかけなかった苦心を味わうことになります。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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督姫(1565-1615年)

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いこと。
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れて家康方に服属するうえは、沼田は氏直の所領とする。そのかわりに家康は、真田昌幸に沼
田の替地を与えること。
3. 家康は、その第2女の督姫を氏直の嫁にすること。
この督姫の結婚は、今やその領国を5ヵ国(駿河・遠江・三河・甲斐・信濃)に拡大した家康が、
本能寺の変(天正10年6月)以後の政局を変転に対して、自分の領国の安定化をはかるために
採用した政略結婚であった。
家康は、政略結婚させた督姫の存在のために、これ以後、後北条氏の滅亡の後にいたるまで、秀
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