小田原平定 その3
『家康の臣従』
九州から帰った秀吉は、京都の聚楽第に移り、10月には有名な北野の大茶会を行なったりして
いる。
家康は九州から凱旋した秀吉を祝うため、8月に上京した。
徳川家康()

秀吉は8月5日、この家康をわざわざ近江の大津まで出迎えて、ともども入京している。
そして8月8日には、秀吉は家康を上奏して従二位権大納言に叙任した。
この秀吉の態度によって、家康の面目は完全につぐなわれたのでしょう。
家康は8月10日には京都を出発し、17日に駿河に帰った。
天正16年(1588年)における家康と秀吉の関係は、さらに緊密の度合いを深めていった。
秀吉は、4月14日から5日間、後陽成天皇を聚楽第に迎えて、一代の盛儀を行った。
家康はこの盛儀に参加するために、旭姫とともに3月下旬上京し、諸侯に率先して秀吉の命に背
かない旨の誓約をしている。
秀吉にしてみれば、ほかの諸侯よりも、家康の臣従がもっとも嬉しかったことでしょう。
ときに秀吉は52歳、家康は47歳であった。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
九州から帰った秀吉は、京都の聚楽第に移り、10月には有名な北野の大茶会を行なったりして
いる。
家康は九州から凱旋した秀吉を祝うため、8月に上京した。
徳川家康()

秀吉は8月5日、この家康をわざわざ近江の大津まで出迎えて、ともども入京している。
そして8月8日には、秀吉は家康を上奏して従二位権大納言に叙任した。
この秀吉の態度によって、家康の面目は完全につぐなわれたのでしょう。
家康は8月10日には京都を出発し、17日に駿河に帰った。
天正16年(1588年)における家康と秀吉の関係は、さらに緊密の度合いを深めていった。
秀吉は、4月14日から5日間、後陽成天皇を聚楽第に迎えて、一代の盛儀を行った。
家康はこの盛儀に参加するために、旭姫とともに3月下旬上京し、諸侯に率先して秀吉の命に背
かない旨の誓約をしている。
秀吉にしてみれば、ほかの諸侯よりも、家康の臣従がもっとも嬉しかったことでしょう。
ときに秀吉は52歳、家康は47歳であった。
ランキングに参加しています

いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
- 関連記事
-
- 小田原平定 その5 (2019/06/30)
- 小田原平定 その4 (2019/06/29)
- 小田原平定 その3 (2019/06/28)
- 小田原平定 その2 (2019/06/27)
- 小田原平定 その1 (2019/06/26)
スポンサーサイト