小田原平定 その4
『旭姫の死』
家康と秀吉の両雄は、たがいに老獪な妥協を行っていたのですが、このような状況のときでさえ
も、箱根山以東の関東では、北条氏政と氏直の父子らは、秀吉に臣従の会釈もしようとしなかっ
た。
北条氏政(1538-1590年)

自分の娘・督姫を氏直のもとに嫁入らせていた家康にとっては、この後北条氏の態度は、まこと
に気がかりなものであったことでしょう。
なお、家康夫人の旭姫は、天正17年、聚楽第で病床に臥していた。
家康は、この夫人を見舞うために、この年は、3月上旬と11月下旬の2回、上京しただけで、
平素は駿府にいて、東の後北条氏の動きを見ていた。
旭姫は、後北条氏討伐令もくだって、秀吉が京都を出発しようとした直前の天正18年(159
0年)正月14日、聚楽第で没した。
ときに48歳であった。
旭姫の死は、秀吉の東征の直前であったため、秘して喪も発せられなかった。
墓は東福寺にある。
家康は、こののち正室を迎えていません。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
家康と秀吉の両雄は、たがいに老獪な妥協を行っていたのですが、このような状況のときでさえ
も、箱根山以東の関東では、北条氏政と氏直の父子らは、秀吉に臣従の会釈もしようとしなかっ
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北条氏政(1538-1590年)

自分の娘・督姫を氏直のもとに嫁入らせていた家康にとっては、この後北条氏の態度は、まこと
に気がかりなものであったことでしょう。
なお、家康夫人の旭姫は、天正17年、聚楽第で病床に臥していた。
家康は、この夫人を見舞うために、この年は、3月上旬と11月下旬の2回、上京しただけで、
平素は駿府にいて、東の後北条氏の動きを見ていた。
旭姫は、後北条氏討伐令もくだって、秀吉が京都を出発しようとした直前の天正18年(159
0年)正月14日、聚楽第で没した。
ときに48歳であった。
旭姫の死は、秀吉の東征の直前であったため、秘して喪も発せられなかった。
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