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小田原平定 その16

『宣戦布告状 その2』

宣戦布告の第5条は長文になりますが、秀吉の半生がわかりますので、全文を紹介したいと思い

ます。

第4条

沼田要害請け取り候上は、右の一札に相任せ、則(すなわ)ち罷り上るべしと思(おぼ)し食(

め)され候処、真田相抱ふ「なくろみ」の城を取り、表裏仕(つかさまつ)り候上は、使者に御

対面ならされるべき儀に非ず候。かの使、生害に及ぶべきといへども、命を助け返し遣し候こと。

大阪城の秀吉
to.豊臣秀吉 002

第5条

秀吉若輩の時、孤児となりて、信長公の幕下に属し、身を野山に捨て、骨を海岸に砕き、干戈(

かんか)を枕として、夜半に寝て、夙(つと)におきて、軍忠をつくし、戦功をはげます。しか

し、中ごろより、君恩を蒙(こうむ)り、人に名を知らせる。これによって西国征伐の儀、仰せ

付けられ、大敵に対し雌雄を争ふの刻、明智日向守光秀、無道の故をもって、信長公を討ち奉る。

この注進を聞き届け、いよいよ彼の表押に報い会稽(かいけい)を雪(そそ)ぐ。そののち柴田

修理亮勝家、信長公の厚恩を忘れ、国を乱し叛逆の条、これまた退治せしめをはんぬ。

このほか諸国の叛く者はこれを討ち、降るものはこれを近づけ、麾下(きか)に属せざるものな

し。就中(なかんづく)秀吉は一言の表裏もこれにあるべからず。この故をもって、天命に

相叶ふものか。予すでに登龍揚鷹(とうりゅうようおう)の誉れをあげ、塩梅則闕(あんばいそ

くけつ)の臣となり、万機の政ごとに関与す。しかるところに、氏直、天道の正理に背き、帝都

に対し奸謀(かんぼう)す。なんぞ天罰を蒙ららんや。古諺(こげん)に曰く「巧詐は排誠(せ

つせい)にしからず」と。所詮普天(ふてん)の下、勅命に逆ふ輩(やから)は、早く誅伐を加

へざるべからず。来歳、必ず節機(せつき)を携え進発せしめ、氏直の首を刎ぬべここと、踝(

くびす)をめぐらすべからざるものなり。

天正17年11月24日         (秀吉朱印)

北条右京大夫(氏直)とのへ

この第5条は、秀吉の略歴をみずから述べたものとして有名です。

この宣戦布告状を新庄直頼をして、駿府の家康に送った。

家康はこれを氏直に渡したのです。



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robin 20190714



<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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