小田原平定 その52
『後北条軍は総力戦の竹槍部隊』
組織原理がまったく異なっていたとは、どういうことのあったのか。
秀吉の軍隊は、所領に束縛されることなく自由に動ける組織の訓練された軍隊であり、氏政の
軍隊は、所領に束縛されて自由には動けない未組織の軍隊であったのです。
小田原城隅櫓

氏政の軍隊は、鍬や鎌まで持ち出して所領から徴収された武士とそれに隷属する百姓の軍隊
であり、その姿は、まさに本土決戦ともいうべき総力戦の竹槍部隊であった。
もちろん十分に訓練などを受けているはずがなかった。
これに対して、秀吉の軍隊を構成していた武士と農兵は十分に訓練されていた。
それは近代兵器ともいうべき鉄砲と大筒を主体とした機械化された軍隊であった。
さらに武器や兵糧の調達輸送を担当した後方部隊の組織も、秀吉と氏政とでは、まったく違っ
ていた。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
組織原理がまったく異なっていたとは、どういうことのあったのか。
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氏政の軍隊は、鍬や鎌まで持ち出して所領から徴収された武士とそれに隷属する百姓の軍隊
であり、その姿は、まさに本土決戦ともいうべき総力戦の竹槍部隊であった。
もちろん十分に訓練などを受けているはずがなかった。
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