奥州仕置 その18
『過分な評価だった』
木村吉清は、伊勢守に叙任して登米郡寺池城に入り、子の弥市右衛門清久は志田郡古川に居城
した。
寺池城門

しかし、吉清の領土は胆沢・江刺・気仙・磐井・本吉・登米・桃生・牡鹿・加美・志田・遠田
・玉造・栗原の諸郡に渡る広大なもので、各地の城館に家臣を配置したが、その人数は少なく、
家臣素質も劣悪で、新付の領民の信頼を得るに足らなかった。
この間の事情を『奥羽永慶軍記』には
「木村父子は放逸無慙の人にて民を憐れます、税斂(ぜいれん)を厚し一向我身のみ楽にほこ
り、或はみめよき女あれは誰とはいはす奪ひ取て己か妾とす、物は類を以て集るとかや、付従
ふ者共も皆かくの如し、是伊勢守俄(にわか)に大名と成て小身の家臣共も始て所領過分に取
て又上もなき振舞のみ多かりけり」
と述べている。
木村父子がはたして悪人であったかどうかは分かりませんが、家臣ににわか立身の者が多く、
統治が不行き届きであったことは確かであったのでしょう。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
木村吉清は、伊勢守に叙任して登米郡寺池城に入り、子の弥市右衛門清久は志田郡古川に居城
した。
寺池城門

しかし、吉清の領土は胆沢・江刺・気仙・磐井・本吉・登米・桃生・牡鹿・加美・志田・遠田
・玉造・栗原の諸郡に渡る広大なもので、各地の城館に家臣を配置したが、その人数は少なく、
家臣素質も劣悪で、新付の領民の信頼を得るに足らなかった。
この間の事情を『奥羽永慶軍記』には
「木村父子は放逸無慙の人にて民を憐れます、税斂(ぜいれん)を厚し一向我身のみ楽にほこ
り、或はみめよき女あれは誰とはいはす奪ひ取て己か妾とす、物は類を以て集るとかや、付従
ふ者共も皆かくの如し、是伊勢守俄(にわか)に大名と成て小身の家臣共も始て所領過分に取
て又上もなき振舞のみ多かりけり」
と述べている。
木村父子がはたして悪人であったかどうかは分かりませんが、家臣ににわか立身の者が多く、
統治が不行き届きであったことは確かであったのでしょう。
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