奥州仕置 その33
『南部氏、秀吉に訴え』
南部信直は3月1日、宮永左月を上京させ、さらに4月13日には嫡子・利直に北信愛をそえ
て京都に出発させた。
前田利家(1539-1599年)

5月18日、京都に到着した利直は、前田利家・浅野長政を頼って事情を訴え、6月24日、
秀吉は九戸反乱鎮定のための軍勢を編成して出発させた。
その編成は1番・伊達政宗、2番・蒲生氏郷、3番・佐竹義宜、宇都宮弥三郎、4番・上杉景
勝、5番・徳川家康、6番・羽柴秀次となっており、大崎・葛西、藤島、九戸の諸一揆を含め
ての、奥州再仕置の軍隊であった。
中央軍は総帥・秀次の本軍と徳川勢が白河口から、上杉勢と大谷吉継の軍が出羽口から、宇都
宮・佐竹勢と石田三成の軍が相馬口から北進、7月には葛西・大崎一揆が平定され、8月には
いよいよ九戸討伐の態勢が整った。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
南部信直は3月1日、宮永左月を上京させ、さらに4月13日には嫡子・利直に北信愛をそえ
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前田利家(1539-1599年)

5月18日、京都に到着した利直は、前田利家・浅野長政を頼って事情を訴え、6月24日、
秀吉は九戸反乱鎮定のための軍勢を編成して出発させた。
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勝、5番・徳川家康、6番・羽柴秀次となっており、大崎・葛西、藤島、九戸の諸一揆を含め
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中央軍は総帥・秀次の本軍と徳川勢が白河口から、上杉勢と大谷吉継の軍が出羽口から、宇都
宮・佐竹勢と石田三成の軍が相馬口から北進、7月には葛西・大崎一揆が平定され、8月には
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