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上月城の戦い その1

『尼子再興』

永禄12年(1569年)、山中鹿介・立原久綱らは、尼子勝久を奉じて、島根半島に押し寄

せた。

これより、2年半前、尼子の根拠地月山の富田落城の後、尼子の遺臣らは諸国に放浪していた。

中でも、鹿介・久綱らは京都に潜んで、風雲に乗じて尼子の再興をはかろうとしていた。

その時が来たのです。

中山鹿介(1545-1578年)
ya.山中鹿介 002

永禄11年以来、毛利・両川(小早川・吉川)の主力は九州に出陣し、筑前立花城を巡って、

豊後の大友宗麟勢と死闘をくり返したのです。

鹿介らは京都東福寺の僧であった新宮党の遺子を還俗させ、尼子勝久と名のらせ、主将に迎え

た。

そして、大友氏と連絡をとり、永禄12年の春、京都を出、但馬へ入り、海賊の頭目・奈佐日

本之介の兵船に乗って、隠岐へ渡った。

そうして、6月23日の夜半、尼子軍は出雲上陸をした。

尼子勝久らは千酌湾に入り、忠山に陣を据え、尼子再興の檄を八方へ伝えた。

3百の兵は、たちまち3千に増したので、尼子軍は新山城を抜き、末次(松江市)に城を築き、

6千になった兵力で、月山富田城に迫った。

しかし、戦は富田の城将・天野隆重の計略にひっかかり、たやすく落ちなかった。

やがて、山中鹿介らの戦略はだんだん効果をあらわし、備前の宇喜多直家が西進の機会を伺

い、豊後の大友氏が、大内の親族・輝弘を山口に進出させて、毛利挟撃の態勢は整った。



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<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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