耳川の戦い その12
『潰滅の大友軍』
12日早朝、田北鎮周は手兵を率いて川に沿い、瀬を渡りながら対岸の敵を攻撃した。
敵兵は敗けて退却すると見せかけた。
耳川の戦い屏風図

昨夜から鎮周の行動を注意していた佐伯惟教は、鎮周が川を渡るのを見、やむを得ず上流の
方の瀬を渡って、敵が鎮周を撃つのを牽制した。
下流の浅瀬を鎮周軍、上流の浅瀬の惟教軍の両方が小丸川を渡ると、城内の山田新介の兵と、
救援の島津義久の軍兵を加えた島津家久は、矢を放ち鉄砲を撃ち、大激戦となった。
大友の本隊もこの戦闘に参加したが、数回の激烈な合戦の結果、鎮周・惟教はいうにおよば
ず、大友方の諸将武士の重要な者は殆ど戦死した。
もちろん薩摩軍にも戦死者は多かったが、大友軍の損害は甚大で、ほとんど潰滅状態になっ
た。
大友軍は耳川・名貫原の戦いには勝ったが、小丸川に臨む高城の戦いで大敗したのです。
この3つの戦いをあわせて耳川の戦いといっています。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
12日早朝、田北鎮周は手兵を率いて川に沿い、瀬を渡りながら対岸の敵を攻撃した。
敵兵は敗けて退却すると見せかけた。
耳川の戦い屏風図

昨夜から鎮周の行動を注意していた佐伯惟教は、鎮周が川を渡るのを見、やむを得ず上流の
方の瀬を渡って、敵が鎮周を撃つのを牽制した。
下流の浅瀬を鎮周軍、上流の浅瀬の惟教軍の両方が小丸川を渡ると、城内の山田新介の兵と、
救援の島津義久の軍兵を加えた島津家久は、矢を放ち鉄砲を撃ち、大激戦となった。
大友の本隊もこの戦闘に参加したが、数回の激烈な合戦の結果、鎮周・惟教はいうにおよば
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もちろん薩摩軍にも戦死者は多かったが、大友軍の損害は甚大で、ほとんど潰滅状態になっ
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こんばんは、
今年はたくさんご訪問していただいてありがとうございました!
来年も宜しくおねがいします。
良いお年を、お迎えください。
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たまごバナナさま
たまごバナナさん、こんにちは。
こちらこそ、ありがとうございました!
来年も、いい年をお迎えくださいねー。
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