摺上原の戦い その20
『芦名氏の滅亡』
芦名軍は内部に国家老と佐竹家からの付家老の対立があり、戦闘中にも白石宗実らが進撃した
際、見物の百姓・雑人が騒いだのを、離反と勘違いし色めいたといい、統制も不統一であった。
個々の武士はよく奮戦したが、全軍の士気は伊達軍には及ばなかったという。
芦名氏家紋

政宗は休む暇もなく黒川に進軍し、芦名方では世臣の富田美作・平田左京らが降服したため、
態勢を立て直す余裕がなく、同月11日、義広は会津を捨てて常陸に走り、鎌倉以来の名族・
芦名氏はここに滅亡した。
芦名氏の滅亡により、会津・大沼・川沼・耶麻4郡・安積半郡・下野の塩屋・越後の蒲原両郡
は伊達領となり、政宗は名実ともに奥羽最強の大名となった。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
芦名軍は内部に国家老と佐竹家からの付家老の対立があり、戦闘中にも白石宗実らが進撃した
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個々の武士はよく奮戦したが、全軍の士気は伊達軍には及ばなかったという。
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政宗は休む暇もなく黒川に進軍し、芦名方では世臣の富田美作・平田左京らが降服したため、
態勢を立て直す余裕がなく、同月11日、義広は会津を捨てて常陸に走り、鎌倉以来の名族・
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