長宗我部元親の四国制覇 その4
『下克上』
応仁の乱後、細川氏の勢力は衰え、特に永正4年(1507年)、細川政元が殺され、養子・澄
元、澄之の対立は分裂をまねき、実験は三好氏の手に握られるようになった。
応仁の乱勢力図(水色:東軍、黄色:西軍、黄緑:両軍伯仲)

戦国の下克上のきわまった時代とはいえ、成り上がり者にとっては、やはり名門の伝統的権威に
は魅力があった。
三好氏もやはり、表面には細川氏を擁することを忘れなかったという。
三好氏はもと甲斐の武田氏の出で、小笠原長清が承久の乱後、阿波の守護となって阿波に移り、
子孫が三好郡を領したので三好氏と名乗るようになった。
守護の細川氏に属したが、長慶に至って主家の細川氏にとってかわることになったのです。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
応仁の乱後、細川氏の勢力は衰え、特に永正4年(1507年)、細川政元が殺され、養子・澄
元、澄之の対立は分裂をまねき、実験は三好氏の手に握られるようになった。
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戦国の下克上のきわまった時代とはいえ、成り上がり者にとっては、やはり名門の伝統的権威に
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三好氏もやはり、表面には細川氏を擁することを忘れなかったという。
三好氏はもと甲斐の武田氏の出で、小笠原長清が承久の乱後、阿波の守護となって阿波に移り、
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