長宗我部元親の四国制覇 その5
『阿波細川家』
阿波細川家では、澄元が官領家を継いだので、弟の持之が相続した。
細川持之(1400-1442年)

その子に持隆がいたが、彼は上京して澄元の子・晴元を助けたが、間もなく阿波に帰っている。
たまたま、将軍・義稙の子・足利義冬は父と仲違いをして阿波屋形を頼って阿波に下ってきた。
義冬の母は細川成元の娘であるが、天文初年頃、義稙は妾に産ませた子に家督を継がせようと
しているとの噂が広がり、仲違いになったのだという。
細川持隆は、これを平島(那賀郡)において、12ヵ村千貫を与えて奉仕させた。
持隆は、義冬を擁立して細川家を再興しようとして家臣に計ったが、三好義賢だけは聞かぬふり
したという。
持隆は義賢の討伐を考えたが、義賢は権謀術数にもたけた人物で、かえって持隆を騙して、天文
21年(1552年)8月(天文22年2月の説もある)猟に誘い、遊宴の最中に殺してしまった。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
阿波細川家では、澄元が官領家を継いだので、弟の持之が相続した。
細川持之(1400-1442年)

その子に持隆がいたが、彼は上京して澄元の子・晴元を助けたが、間もなく阿波に帰っている。
たまたま、将軍・義稙の子・足利義冬は父と仲違いをして阿波屋形を頼って阿波に下ってきた。
義冬の母は細川成元の娘であるが、天文初年頃、義稙は妾に産ませた子に家督を継がせようと
しているとの噂が広がり、仲違いになったのだという。
細川持隆は、これを平島(那賀郡)において、12ヵ村千貫を与えて奉仕させた。
持隆は、義冬を擁立して細川家を再興しようとして家臣に計ったが、三好義賢だけは聞かぬふり
したという。
持隆は義賢の討伐を考えたが、義賢は権謀術数にもたけた人物で、かえって持隆を騙して、天文
21年(1552年)8月(天文22年2月の説もある)猟に誘い、遊宴の最中に殺してしまった。
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