長宗我部元親の四国制覇 その19
『財田(本篠)城落城』
元親は帰国後、策を練り、再び財田城の攻略を計画した。
ここは西讃岐の門戸にあたり、25ヵ村の部落を支配する重要な地点であった。
財田(本篠)城

城主の財田和泉守は、西讃岐4郡の領主・香川氏を旗頭として、その麾下にあるため、元親と
しても容易に攻撃を加えることはできなかった。
ところが藤目城の攻撃の時、香川氏は同じ麾下でありながら藤目城に援兵を送らなかったので、
元親はこの形勢を察して財田へ出陣した。
天正7年(1579年)春の頃であった。
財田和泉守は、勇猛であると聞こえていたが、200余の守兵では元親の軍5千の大敵を防ぐ
ことはできない。
そこで香川氏に援兵を請うたが、香川氏は兵を出さなかったので、元親の大軍に包囲され、城
主の財田和泉守は元親の臣・横山源兵衛に討たれてしまった。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
元親は帰国後、策を練り、再び財田城の攻略を計画した。
ここは西讃岐の門戸にあたり、25ヵ村の部落を支配する重要な地点であった。
財田(本篠)城

城主の財田和泉守は、西讃岐4郡の領主・香川氏を旗頭として、その麾下にあるため、元親と
しても容易に攻撃を加えることはできなかった。
ところが藤目城の攻撃の時、香川氏は同じ麾下でありながら藤目城に援兵を送らなかったので、
元親はこの形勢を察して財田へ出陣した。
天正7年(1579年)春の頃であった。
財田和泉守は、勇猛であると聞こえていたが、200余の守兵では元親の軍5千の大敵を防ぐ
ことはできない。
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