明智光秀 seasonⅡ その5
『光秀は鉄砲の名手』
光秀は諸国を流浪した後、朝倉家に仕え、その知行は5、6百石であったという。
その頃の話として、こんな話が伝わります。
朝倉義景(1533-1573年)

彼は砲術に精妙を得ていて、(斎藤道三から学んだという説もある)ある時の戦闘で大功を立て
たので、彼の砲術が朝倉家中の評判になり、朝倉義景の耳に入った。
「しかじかの由、一覧したい」
と、朝倉義景は所望した。
「かしこまりました」
光秀は25間(約45m)の的に100発の玉を放ったところ、的の星に入ったのが68発、3
2発は星には入らなかったが角に入ったという。
義景は感に入り、家臣100人を選んで鉄砲寄子(組下)として光秀に預けたという。
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いつもありがとうございます。

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
光秀は諸国を流浪した後、朝倉家に仕え、その知行は5、6百石であったという。
その頃の話として、こんな話が伝わります。
朝倉義景(1533-1573年)

彼は砲術に精妙を得ていて、(斎藤道三から学んだという説もある)ある時の戦闘で大功を立て
たので、彼の砲術が朝倉家中の評判になり、朝倉義景の耳に入った。
「しかじかの由、一覧したい」
と、朝倉義景は所望した。
「かしこまりました」
光秀は25間(約45m)の的に100発の玉を放ったところ、的の星に入ったのが68発、3
2発は星には入らなかったが角に入ったという。
義景は感に入り、家臣100人を選んで鉄砲寄子(組下)として光秀に預けたという。
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