長宗我部元親の四国制覇 その73
『長宗我部軍南予に進出』
土居城に向かった小姓組は、わずかの人数で城の西谷口から敵の足場を急襲して火をかけ、午下
の刻(午後一時)から申の刻(午後四時)まで戦い、本山・福留・桑名ら奉行衆の度々の引き揚
げ命令も応ぜず、奮戦を続けたが、夕刻になってようやく引き揚げた。
土居城址(現万福寺)

こうして三間表の諸城は長宗我部勢の猛襲にあって苦戦した。
これらの城はすべて西園寺の麾下であったが、このような苦境にたっても西園寺方は後詰めの手
当てもせず、加勢の兵も送らず、音信不通のままであったので、三間の諸城主はその不信に怒り、
そのため長宗我部への降服を早めた。
ところで、河野氏を援助する毛利軍の先陣として、長宗我部軍と対峙して非常な苦難をなめてい
たのは、毛利輝元の部将・桂元親であった。
輝元はたびたび桂元親に手紙を出して労をねぎらい奮戦を促したが、長宗我部軍はしだいに南予
の各地に進出した。
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いつもありがとうございます。
おい、顔がないよ~

<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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こうして三間表の諸城は長宗我部勢の猛襲にあって苦戦した。
これらの城はすべて西園寺の麾下であったが、このような苦境にたっても西園寺方は後詰めの手
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