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石山合戦 その50

『第2次木津川口の戦い』

ついに海上権は織田方のものとなった。

天正6年7月以後は、この戦艦が木津川口にあり、本願寺に対して厳重な海上封鎖が行われるよ

うになった。

11月には毛利の軍船6百余隻が、例のごとく兵糧を満載して木津浦に到着したが、新鋭戦艦の

敵ではなく、たちまち撃滅されてしまった。

九鬼水軍鉄甲船想像図
te.鉄甲船(九鬼水軍)
<戦国バトルストーリーからお借りしています>

この戦艦が7月、堺の港に雄姿を現したとき、耶蘇会宣教師オルガンチノは、その見聞に次のよ

うに記している。

「右は信長が伊勢で建造させた。日本国中で最大の、そしてまた華麗なものであって、わがポルト

ガル王国の船に似ている。予は港にでかけてこれを見物したが、日本でこんなものができるという

ことに驚いた。信長がその建造を命じたのは4年以来戦争をしている大坂の河口にこれを置き、援

軍や糧食を載せた船の入港を阻止するためである。おそらく、これによって大坂の都市(石山寺内

町)は滅亡するであろう。船には大砲3門を載せているが、これはどこから持って来られたものか

わからない。何故なら、豊後の王(大友宗麟)が鋳造させた数門の小砲以外に、日本中に砲のない

ことは自分たちが確認しているからである。われわれは出かけてこの船を見物した」



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いつもありがとうございます。


robin 20200710




<参考文献:日本の合戦(新人物往来社)>
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No title

piglet01さん、こんばんは。

この記事で、驚いたのは、
宣教師が大友宗麟の大砲を把握してることかも
しんない...
しかも基本、他にないっていいきるあたり
どんだけ情報に精通してるんだと...

三島の苔丸 さま

三島の苔丸さん、こんにちは。

そうですよね。
宗麟の国崩しと同様のフランキ砲だったのでしょうね。
宗麟は、ポルトガルの宣教師から購入したようですから、
当然、宣教師たちは宗麟の国崩しを知っていたのでしょう。

フランキ法は今でも見ることができますが、信長の鉄甲船
を見てみたいですねー。
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